本応寺(ほんのうじ)、法雨山は、板橋にある法華宗陣門流の寺院。本尊は三宝の諸仏。寛永13年(1636)の創建で、開山は是真院・日雄(寛文11年・1671没)、開基は羽原新右衛門忠次夫妻。江戸時代には越後三条・本成寺の末寺だった。(1)
開基
羽原新右衛門の妻は、かつて小田原藩主・稲葉美濃守正則の乳母だったため、寺院の建立を許されたといわれている。法名:本成院妙感日寿、寛文5年(1665)12月3日没。夫の羽原新右衛門忠次も稲葉正則の家臣だった。法名:法雨院道樹日行、明暦元年(1655)5月18日没。(1)
創建の頃は「本乗寺」と号したが、本寺と読みが似ているとして宝暦11年(1761)に今の寺号に改めた(1)。
境内
番神堂
境内に番神堂があったが、寛保3年(1743)に火災に遭い、『風土記稿』のときも再建されていなかった。
土砂災害特別警戒区域
本応寺の境内の一部を含む城山4丁目4-5の区域(206-H26-305 城山4丁目4-5)は、神奈川県の土砂災害特別警戒区域(急傾斜)に指定されている(2021年3月19日 告示第150号)(2)。
寺紋
リンク
- 紋谷幹男「第1707回 本應寺(ほんのうじ)法華宗陣門流/神奈川県小田原市板橋」『お宮、お寺を散歩しよう』2015年8月14日
- 著者不明「本応寺 (小田原)」『何気ない風景とひとり言』2014年8月15日
参考資料
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『風土記稿』
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図
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布教研究所所員・見附市 如實院住職 田中隆寬、法華宗(陣門流) > 仏教質問箱> 法華宗の家紋?は何という呼び名でいつ頃から使用されるようになったのでしょうか。由来を教えてください。また、他門流では鶴丸とか橘が使われておりますが、こちらの方の由来もわかれば教えてください。 最終更新 2020年9月25日