本源寺(ほんげんじ)、恵日山如法院は、栄町4丁目にある天台宗の寺院。本尊は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩。大久保氏の内庵の一つで、寺域は八段畑の侍屋敷の中にあった。江戸時代には東京上野・東叡山寛永寺の末寺だった。(1)
沿革
もとは大久保加賀守忠職が亡父・加賀守忠常のために美濃国加納(岐阜県岐阜市加納)に建立した寺院で、「本性寺」と号した。日蓮宗の京都・本禅寺の弟子を住職にしていた。(1)
貞享3年(1686)に加賀守忠朝が天台宗に改宗して、寺号を現在の「本源寺」と改め、寛永寺の末寺とした。このとき、下総国(下野国)真岡・円林寺の住僧・宗海(元禄11年・1698没)を住職にした。このため、開山は宗海とされている。(1)
明治5年(1872)の学制発布を受けて、1873年(明治6)4月に本源寺に小学啓蒙館が開かれた(5)。
仏画
本源寺の所有する絹本着色 千手観音二十八部衆図像は、中世期に遡る仏画の中では、南町・報身寺の阿弥陀如来像に次ぐ古い作例であり、また箱書きによると、小田原藩主・大久保忠隣が所持した品で、元禄9年(1696)に石川憲之によって本源寺へ寄進されており、伝来が小田原の歴史に深く関わるとして、2009年(平成21)に小田原市の文化財に指定された(2)。
境内
護摩堂
境内に護摩堂があり、不動明王像と慈恵大師の自作の像が安置してあった(1)。
聖徳太子堂
2019年当時、境内に聖徳太子堂があった(4)。
(株)三上工業のブログによると、本源寺の太子堂は、(年次不詳で)小田原左官業組合によって建立されたもの(3)。2016年(平成28)当時、毎年1・5・9月の年3回、本源寺で同組合による「太子祭」が開催されているという(3)。
寺紋
リンク
- 著者不明「本源寺 - 神奈川県小田原市 - 境内の整った天台宗寺院 - 小田原駅10分」『伝統の日本紀行』最終更新 2022年3月10日
- 紋谷幹男「第1731回 本源寺(ほんげんじ)天台宗/神奈川県小田原市栄町」『お宮、お寺を散歩しよう』2015年9月7日
- 大侘坊「大久保氏六内庵(三乗寺・本源寺)」大佗坊の在目在口、2014年12月2日
- 「加納城古図 」西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース 岩瀬文庫蔵書 目録データ 和 、ADEAC、更新時期不明
- 「大工町商店会」おだわら0465.net、更新時期不明
参考資料
- 『風土記稿』
- 小田原市文化部文化財課「絵画・絹本着色 千手観音二十八部衆像」小田原市公式サイト、2021年7月5日
- 「小田原左官業組合 太子祭」株式会社三上工業 > BLOG 2016年9月22日のエントリ
- 2019年調査
- 高田稔「学制発布と小学校の誕生」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、10-11頁