正恩寺(しょうおんじ)、法性山妙賢院は、本町4丁目にある浄土真宗大谷派の寺院。本尊は阿弥陀如来。中興開山は信賢(寛永11年・1634没)、中興開基は大久保忠隣の室・妙賢院(寛永元年・1624没)。寺伝に、尾張国で創建の後、三河国へ移転したとされ、住職だった信賢に妙賢院が帰依、大久保氏が小田原に移封された後、文禄2年(1593)に堂宇が建立された。江戸時代には京都東六条・本願寺の末寺だった。(1)
縁起
寺伝によると、小松内府・平重盛の臣・平重好入道了願が尾張国海東郡冨田庄(愛知県名古屋市中川区富田町周辺)で寺院を創建した(1)。
その孫・長顕のとき、本山の証如と面会してその弟子となり、法名:順誉、寺号:法恩を授けられた(1)。
順誉の子・専信は、縁あって三河国額田郡土呂(愛知県岡崎市福岡町)へ移住した。専信には子がなかったので、本山の教如の指示に従い、同国針崎(同市針崎町)の勝曼寺の次子・信賢を養子として住職を継がせた。(1)
この頃、大久保相模守忠隣の室・妙賢院は信賢に帰依し、天正18年(1590)に小田原に招聘して、城内に住まわせた。文禄2年(1593)には三河国にあった寺院を小田原へ移して堂宇を建立し、菩提寺とした。このため『風土記稿』の頃、正恩寺は「尾・三・相の三州転遷の道場」と称していた。(1)
元和2年(1616)に、飛檐(2)(飛椽)出仕を本山から許可された(1)。その免状の写し(1):
連々依望、其方飛椽出仕之儀、被成御免候云々、元和三年辰(元和2年丙辰・1616または元和3年丁巳・1617)卯月(4月)二日、相州小田原正恩寺、粟津大進法眼[花押] |
寛永元年(1624)に院号の免許があった(1)。
今般妙賢尼御義逝去に付、院号被成御免候、兼々被願置候に付、御本尊脇え可有安置旨/被仰出候云々、十月廿九日、相州小田原信賢、粟津大進法眼[花押] |
このため、寺では信賢(寛永11・1634没)を中興とし、妙賢院(妙賢院円空禅尼、寛永元年(1624)1月23日没)を中興開基としている。妙賢院は正恩寺に葬られた。『風土記稿』は、妙賢院を石川日向守家成の娘と推測している。
仏像
本尊
本尊の阿弥陀如来像は像高1尺6寸3分(約49.4cm)、恵心の作とされ、妙賢院の看経仏で、その没後に寄附された。その時の本山の免状があった(1)。
連々依望木仏之御本尊、被成御免候、難有被存、可有安置之由、被仰出候云々、卯月廿八日、武州小田原信玄、粟津勝兵衛[花押] |
旧本尊
旧本尊は内仏として安置されていた。像高は9寸(約27.3cm)、鳥仏師の作。平重盛が崇敬していた仏体で、了願(平重好)伝来の像といわれていた。この像についても免状があった。(1)
元来之木仏、願之通内仏之被成御免候間、可被得其意/仍而被顕御印者也、八月廿一日、小田原信玄、粟津勝兵衛[花押] |
無図画の影像
また無図画の影像と称する高祖(親鸞)の影像が安置されていた。天正9年(1581)9月13日に、大阪・石山において、教如から兵乱扶持の功績によって、順誓に与えられたものだった。(1)
什宝
寺宝として、証如から順誓に与えられた4種の品があった(1)。
九字名号 |
1幅。親鸞の筆とされていた。 |
正信偈文 |
2幅。それぞれ4句ずつで、蓮如の筆とされていた。 |
七条袈裟 |
1頂。地は舶来品で、「あんらくあんふたへつる(安楽庵二重蔓?)」というものだと云われていた。 |
念珠 |
1聯。茶色の水晶玉で作ったもの。 |
また元和2年(1616)に大久保忠隣が寄附したとされる職人歌合と太刀があった(1)。
職人歌合 |
12幅。後陽成院の宸翰(直筆の書)で、画は古土佐の筆といい、屏風1双に描かれたものだった。 |
太刀 |
1腰。天国の作。中心(なかご)を合せて3尺2寸5分(約98.5cm)。 |
境内
1970年当時、建物は本堂50坪(約12.9m四方)、庫裡、山門があった(6)。
鐘楼門
境内の鐘楼門は、1992年(平成4)に小田原市の文化財に指定された。山号の扁額の裏書きから、寛政5年(1793)に建造されたとみられている。(4)
『風土記稿』のとき、楼門の上には寛延3年(1750)鋳造の大鐘が掲げられていたが(1)、この鐘は、1943年(昭和18)の金属供出で失われた(4)。
妙賢院の墓
境内の本堂脇に中興開基・妙賢院の墓所がある(3)。
吉川英治の先祖の墓
境内の墓地に作家・吉川英治の先祖(小田原藩士)の墓がある(3)。
寺紋
リンク
- 大佗坊「小田原界隈 正恩寺」『大佗坊の在目在口』2015年9月18日
- 紋谷幹男「第1696回 正恩寺(しょうおんじ)浄土真宗大谷派/神奈川県小田原市本町」『お宮、お寺を散歩しよう』2015年8月3日
- yummy21「小田原市本町 正恩寺」小田原な日々、2012年6月18日
- 神奈川県立公文書館 収蔵資料検索「9200900012 相模国足柄下郡小田原 正恩寺文書(小田原市)」更新時期不明
参考資料
- 『風土記稿』
- 『風土記稿』国立公文書館内閣文庫本 請求番号173-0190 コマ65
- 正恩寺入り口の案内板、掲示時期不明
- 小田原市文化部文化財課「建造物・正恩寺の鐘楼門」小田原市公式サイト、2011年7月6日
- 高木知己「小田原市正恩寺の書翰」〈郷土文化館所蔵歴史資料調査報告 (1)〉『小田原市郷土文化館研究報告』Vol.25、1989年3月、pp.86-89
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.420