法善寺(ほうぜんじ)、神力山は、酒匂にある日蓮宗の寺院。本尊は宗風の諸尊(1)(或いは輪円具足大曼荼羅(4))。江戸時代には身延久遠寺の末寺だった(1)。
縁起
『風土記稿』は、開山を日敬(寛正2年(1461)9月15日没)としている(1)。
境内の案内板によると、永享11年(1439)に藤原頼勝の末孫という中野禅門がここに真言宗の草庵を結び、法善入道と号した。その後、長禄3年(1459)に、法善の伯父にあたる本法院日敬が教化に訪れた際に日蓮宗に改宗。日敬を開祖とし、神力山法善寺と号した。日敬は後に小田原新宿町(浜町)花榎木に円妙寺を創立して隠棲、安心院殿法善日直が法善寺の住職となり、その後46年間在位した、という。(2)
『風土記稿』の小田原新宿町の項に円妙寺はなく、荻窪村(2022年現在は扇町)に同名の寺院があって、創建は本法院日敬(永正12年(1515)9月5日没)で文明7年(1475)のこととされている(3)。
3つの縁起の内容整理
年 | 日敬 | 法善(日直) |
永享11(1439) |
中野禅門(=法善入道)、真言宗の草庵を結ぶ (寺伝) |
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長禄3(1459) | 日蓮宗に改宗、「神力山法善寺」と号す(寺伝) | |
寛正2(1461) |
9/15没(『風土記稿』法善寺) |
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文明7(1475) |
円妙寺を創建(『風土記稿』円妙寺) |
法善日直、法善寺の住職になり、以後46年在位 (1521まで。寺伝) |
永正12(1515) |
9/5没(『風土記稿』円妙寺) |
- 『風土記稿』の法善寺の項と円妙寺の項で日敬の没年(1461か1515)と没日(9/15か9/5)が異なる。1461に没すると1475に円妙寺を創建できないので、1515の方が妥当だが、1459改宗から56年経っており、日敬が長命すぎているので、没日は永正12年(1515)9月5日ではなく永正2年(1505)9月15日の可能性もある。
- 1439に草庵を結んだ法善が(1475に)日敬から住職を引き継ぎ以後46年在位したとの寺伝では法善が長命すぎるので、日敬の甥は日直で、日直と法善は別人、法善はもっと早くに(或は寛正2・1461に)死去したのではないか。
境内
1970年当時、境内は270坪(約30m四方)、建物は本堂40坪(約11.5m四方)、庫裡100坪(約18.2m四方)(4)。
七面堂
七面堂は、元文元年(1736)9月に住職の日賢が建てたもの(1)。
鐘楼
鐘楼には寛政6年(1794)の鐘が掛けられていた(1)。
寺紋
寺紋は日蓮宗橘。(2019年調査)
リンク
- 「神力山法善寺。須藤惣太郎が開基檀越」『猫のあしあと』更新時期不明
参考資料
- 『風土記稿』
- 境内の案内板「神力山法善寺縁起」設置時期不明、2022年閲覧
- 『風土記稿』 荻窪村 円妙寺
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.423