浄蓮寺浄蓮寺(じょうれんじ)、相伝山勝願院は、桑原にある浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来桑原道場の故地にあり、仏蓮社・良誉定恵(応安3年・1370没)の創建。江戸時代には芝・増上寺の末寺だった。(1)

縁起

浄土伝灯録』から:

良誉諱定慧、久依寂慧受浄土教、白旗之門嗣其業者不可勝計、時衆以定恵及慧光為高弟、然白旗奇恵才、以為釈門千里駒、日示家法、挙居首座、未幾慧辞乃住乎武州足立郡箕田、聚徒鳴宗、東方州郡悉為崇敬、厚施浄財、以資造寺、不日而成、号寺曰乗願、尋主於鎌倉光明寺、道化盛行、東方宗之、晩退居桑原、修練浄業、備九品之生、聖冏来而求法、為授浄教及起信釈論等深義、応安三年(1370)十二月廿六日、安庠而寂、寿七十有五、慧嘗自号曰良誉、蓋取善導和尚五種嘉誉釈文、我門誉号実始於斯矣、(1)

当時の寺域は8町(約873m)四方あり(1)(4)、19の子院を有していたという(4)

『風土記稿』の頃、水田の字に「寺田」「塔屋敷」などの名前が残っていた(1)

中興開山は立誉(元和7年・1621没)(1)

什宝

阿弥陀如来像

本尊の阿弥陀如来と別に、高さ2尺1寸(約64cm)、聖徳太子の作という阿弥陀如来の像があった(1)

扁額

本堂に掛かる「桑原道場」の額は、元禄14年(1701)、増上寺証誉の書だった(1)(4)

観智国師真蹟

観智国師筆の軸物(1)(4)。「三縁山 中興 貞蓮社茲昌源誉普光観智国師」と記してあり、落款・花押があるもの(1)

観智国師の書簡

観智国師筆の書翰(1)(4)。末寺異論の事についての、小田原惣門中への返翰。「十月廿三日普光観智国師源誉」と記してあり、花押があるもの(1)

境内

1970年当時、境内は788坪(約51m四方)、建物は本堂56坪(約13.6m四方)、庫裡70坪(約15.2m四方)(4)

山門(4)

鐘楼

境内に鐘楼があった(1)(4)。鐘楼の鐘は、天明6年(1786)の鋳造(1)

大鐘の序文から:相州桑原道場清浄蓮寺、良誉定慧上人開基也、上人者続円光大師五世統、伝一乗円戒於了誉上人、戒香四薫、徳化艸偃、五種嘉誉、垂範千古、凡吾宗之緇素、至今莫不蒙其法沢矣、実浄教之楷模、蓮宗之勝躅也、(1)

薬師堂

桑原の薬師堂(医王院)は、浄蓮寺が管理していた(1)

十王堂

地蔵菩薩を祀った桑原の十王堂(閻王院)は、浄蓮寺が管理していた(1)

富士見の桜土手

浄蓮寺西側の土手にはソメイヨシノ約30本と菜の花が植えられており、市観光協会が2022年の桜の名所の1つ・富士見の桜土手として紹介している(3)

寺紋

寺紋は確認できず。(2019年調査)

参考資料

  1. 『風土記稿』

  2. 石川琢道「浄蓮寺」新纂浄土宗大辞典 Web版、最終更新 2018年3月30日

  3. 小田原市観光協会2022 小田原 桜 おさんぽしましょ♪」更新時期不明

  4. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.420