牧野信一の墓(まきのしんいちのはか)は、中町1丁目の清光寺にある、緑町(栄町)出身の文士・牧野信一の墓。
建立の経緯
牧野は1936年(昭和11)に自死し、清光寺に葬られた(1)(2)。1956年(昭和31)4月23日、牧野の20年忌に、新しく墓碑が建立され、墓前祭が営まれた(1)(2)。墓前祭には、久保田万太郎、井伏鱒二、尾崎一雄、中山善三郎、榊山潤、浅原六朗、川崎長太郎、佐々木茂索らが出席し、小田原からは鈴木十郎市長らが参列した。
墓碑銘
墓碑は2尺3寸(約70cm)四方のほぼ正方形(1)。
表面:「牧野信一之墓」の字は伊藤熹朔による(1)。
裏面:
牧野信一は、明治29年(1896)11月12日、小田原に生れ、24才の秋、処女作「爪」を発表して島崎藤村に認められた。そのあと作家生活16年間に「父を売る子」「村のストア派」「ゼーロン」「泉岳寺附近」等の代表作をはじめ、80余編の作品を残した。 昭和11年(1936)3月24日の夕刻、小田原の同家で自ら死をえらび、文学一途に捧げた41年の生涯を了へた。 昭和31年(1956)3月24日 久保田万太郎しるす |
※編注:漢数字は英数字になおし、読点を補った。
参考資料
- 石井富之助「3 牧野信一」神奈川県立図書館『神奈川県の歴史 県下の文学編 上』〈神奈川県立図書館シリーズ8〉神奈川県立図書館、1963、75-79頁
- 清光寺入り口の掲示板(2022年調査)