玉宝寺 入り口玉宝寺(ぎょくほうじ)、天桂山、別名・五百羅漢(ごひゃくらかん)は、扇町5丁目にある曹洞宗の寺院(1)(2)(6)。本尊は釈迦如来(1)(5)。天文3年(1534)の創建で、開山は大住郡田原村(秦野市西田原)の香雲寺4世・実堂宗梅(永禄7年・1564没)(1)(5)。江戸時代には香雲寺の末寺だった(1)。
開基
開基は玉宝貞金大姉(没年・事跡は不明。月命日は6日)および垪和伊予守某(位牌に「天桂寺殿活翁宗漢居士」とあり、没年は不明。月命日は10日)とされている。(1)
永禄2年(1559)9月に垪和伊予守氏続が寺領を寄附した書状に、
為祖母玉宝貞金、前伊予守、於御門前十貫文之所、於寺領被附置候、於自分弥長相違申間鋪者也 |
とみえ、これによると伊予守某(氏続の前代)がその母・玉宝貞金のために玉宝寺を造立したことになるので、この2人が開基とされていると考えられる。垪和は後北条氏の家士といわれていて、『所領役帳』に載っている「垪和又十郎・同彦十郎」などの一族とみられている。(1)
什宝
五百羅漢像
本尊の釈迦如来像のほかに、五百羅漢の木像が置かれていた。立像の高さは1尺2寸(約36cm)~2尺(約61cm)、座像は高さ7,8寸(約21-24cm)(1)。この像は、享保15年(1730)に多古村出身の僧・智鉄が造立を計画したが途中で没し、その弟の僧・真澄(または真灯(5))が遺志を継いで造立し、宝暦7年(1757)に玉宝寺に安置したもの(1)。
『風土記稿』の頃、毎年4月8日に大般若経の転読が行われており、その日には近郷の僧・俗が集い、参詣していた(1)。
『全国寺院名鑑』によると、五百羅漢のほかに十六羅漢像があり、羅漢像は計516体ある(5)。
1978年(昭和53)に小田原市の文化財に指定された(3)。
寺領寄附状
前掲の書状。「永禄二年丁巳(永禄2年は己未・1559、丁巳は弘治3・1557)九月十一日、玉宝寺え参、垪和伊予守氏続〔花押〕」(1)
境内
1970年当時、境内は1,822坪(約78m四方)、建物は本堂26坪(約9.3m四方)、庫裡69坪(約15.1m四方)、ほか3棟(5)。墓域は762坪(約50.2m四方)(5)。
鐘楼
境内の鐘楼の鐘は宝暦12年(1762)の鋳造。(1)
観音堂
境内に観音堂があった(1)。腹籠十一面観音は、伝恵心作(5)。
弁天社
境内に弁天社があった(1)。弁財天・毘沙門天像は、伝空海作(5)。
五百羅漢保育園
道路を挟んだ東側にある五百羅漢保育園は、1955年に開設された(2)。
土砂災害特別警戒区域
玉宝寺の境内の一部を含む扇町5丁目1-1の区域(206-H26-156 扇町5丁目1-1)は、神奈川県の土砂災害特別警戒区域(急傾斜)に指定されている(2021年3月19日 告示第150号)(4)。
寺紋
寺紋は「丸に「玉」の字」/「丸に花菱」。(2019年調査)
リンク
- 五百羅漢保育園
- 運転手つばさ-やまのてアイコン急行「【五百羅漢(伊豆箱根鉄道大雄山線)】玉宝寺で五百羅漢像を拝むつもりが悲しいことに!【由来紀行157神奈川県】」YouTube、2020年6月26日
- nekata「神奈川県小田原市の石造物(観音)」石仏探訪 ―高遠石工の作品を訪ねて―、2019年1月30日
- かおパパ「小田原ぶらり ② 玉宝寺・五百羅漢」かおパパのピンボケ日記、2015年12月5日
- 「小田原市扇町 玉宝寺の外国人遊歩規程測量標石」小田原の端々、2011年8月22日
-
小田原市公式サイト
- 文化部文化財課「玉宝寺(五百羅漢)」、最終更新 2020年8月11日
- 経済部観光課「天桂山玉宝寺(五百羅漢)」最終更新 2012年3月14日
参考資料
- 『風土記稿』
- 五百羅漢保育園
- 小田原市文化部文化財課「指定文化財・有形民俗文化財」小田原市公式サイト、2011年1月21日
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.420
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