瑞雲寺(ずいうんじ)、龍珠山は、上曽我にある曹洞宗の寺院。本尊は十一面観音(1)。明応元年(1492)の創建で、開山は津久井県根小屋村(相模原市緑区根小屋)の功雲寺5世・仁忠継儀(永正15・1518没)(1)(3)(6)。開基は、後北条氏の頃に上曽我を領知していた本多豊前守信親(法号:瑞雲院龍珠宗洞、天正15・1587没)(1)。江戸時代には功雲寺の末寺だった(1)。
沿革
創建当初は、現在の位置よりも東方200mの丘の上に建立されたが、江戸時代の後期に現在地に移転したという(3)。
1927年(昭和2)に本堂を再建した(6)。
1970年当時の住職は21世(6)。
境内
1970年当時、境内は780坪(約50.8m四方)、建物は本堂98坪(約18m四方)、庫裡30坪(約10m四方)(4)。
喚鐘
本堂軒の大鐘には元禄14年(1701)の銘があった(1)。
へえずり石
境内に18世・観源大器和尚の「へえずり石」があった(3)。
石仏群
山内の石造物群として小田原市教育委員会の案内板に下記9件が挙げられている。
- 六観音石龕(せきがん)
- 六地蔵石龕
- 石像阿弥陀如来座像
- 石像観音菩薩立像2体
- 石像地蔵菩薩立像2体
- 石像閻魔王座像
- 万霊供養塔
- 唯念名号碑
- 自然石石塔(観音・馬頭観音)2基
洗心池とめん玉弁天
境内の洗心池に「めん玉弁天」が祀られている(3)。
力不動尊
境内に、曾我兄弟が父の敵を討つために願文を納めて「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されていた(3)。これは大山不動尊の前不動で、もと曽我の剱沢にあったが、江戸時代後期に瑞雲寺の境内に移されたもの(3)。
自修学校発祥の地
寺内入口左側の梅林は、21世住職により開設された私学・自修学校の校舎跡地で、2022年現在、「自修学校発祥の地」の記念碑が建てられている(3)。
境内社
土砂災害警戒区域
瑞雲寺の境内を含む砂留田川の区域(41058 砂留田川)および砂留田川支1号沢の区域(41905 砂留田川支1号沢)は、神奈川県の土砂災害警戒区域(土石流)に指定されている(2013年3月29日 告示第207号および第206号)(5)
第六天社
江戸時代には、村の鎮守・第六天社を管理していた(1)。
阿弥陀堂
江戸時代には、村内に2つあった阿弥陀堂のうち1つを管理していた(1)。
寺紋
寺紋は五七桐。(2019年調査)
住職
同寺・大井道範住職は、書籍や「曽我梅雨エキス」などをアマゾンで販売している(2)。
リンク
- 曹洞宗龍珠山瑞雲寺
- 「場所の共通性 独自に探る - 瑞雲寺 大井住職が新著」タウンニュース 小田原・箱根・湯河原・真鶴版、2020年2月29日号
- yummy21「小田原市上曽我 瑞雲寺(ずいうんじ) しだれ梅 2014」小田原な日々、2014年3月9日
- 小田原市文化部文化財課「天然記念物 ・瑞雲寺のモッコク」小田原市公式サイト、2011年7月6日
参考資料
- 『風土記稿』
- 曹洞宗龍珠山瑞雲寺ウェブサイト
- 境内入り口の「瑞雲寺」案内板、設置時期不明、2022年調査
- 小田原市教育委員会「瑞雲寺と石仏群」案内板、小田原市ふるさと文化基金、設置時期不明、2022年調査
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図(砂留田川) 区域図(砂留田川支1号沢)
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.420