田島地蔵尊(たじまじぞうそん)は、田島にある地蔵堂。『風土記稿』のときには、田島の一徳寺が管理をしていた(1)。
沿革
永禄3年(1560)に杉崎氏の先祖が美作国(岡山県北東部)から勧請し、地蔵堂を建立したという(3)。杉崎氏が「紺屋」と呼ばれていたことから、紺屋の地蔵さん(こんやのじぞうさん)と呼ばれていた(3)。
明治5年(1872)の学制発布のとき、矢作の春光院に開設された九思館の第2分教所が開設された(2)。(九思館は1876・明治9年に千代へ移転し、千代小学校に改組(2))
第2分教所は1908年(明治41)に閉所した(2)。
その後、県道松田国府津線(72号線)が地蔵堂の境内を横断することになり、境内を縮小することになった(3)。
境内
土砂災害警戒区域
田島地蔵尊を含む弁天沢の区域(41068 弁天沢)は、神奈川県の土砂災害警戒区域(土石流)に指定されている(2013年8月30日 告示第478号)(4)。
年中行事
毎年1月と7月(明治以降は8月)の地蔵縁日(24日)に近郷72ヶ村の信者によって供養が行われていた(3)。
案内板を設置した頃、縁日には地元の子供会の協力を得て手作りの灯籠を道路沿いに飾り、堂前に祭り提灯を掲げて地蔵供養を行うようになった(3)。
リンク
- 「地蔵縁日の地蔵尊巡り」小田原の端々、2014年8月25日
参考資料
- 『風土記稿』田島郷 田島村 地蔵堂
- さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、77頁
- 著者不明『田島地蔵尊』現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図