白髭神社(しらひげじんじゃ)は、小船にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)

沿革

風土記稿』のとき、小船村には本山修験能引寺を別当寺とする白髭社があり、小船村・羽根尾村中村原小竹村と、沼代村の字・明ヶ沢の鎮守とされていた(3)

社伝の縁起1巻があり、それによると、

  • 行基が諸国を行脚したとき、縁のある霊地として地蔵菩薩像を彫刻して堂宇に安置していった。
  • その後、伊勢の神官で、はじめ玉串某という名だったが仏門に入った実応という者が、諸国を巡る途中でこの堂宇に宿泊したとき、白髭の霊夢をみて神体を彫刻し、社宇を造立した。
  • それからまた時代が下って、文治3年(1187)に実頂が社宇を再興した。
  • 建久元年(1190)6月に源頼朝が神領を寄進した。
  • 暦応2年(1339)に室町将軍・足利尊氏が御教書を下賜した。
  • 応永の乱(1399)のとき、社殿が兵火で焼失し、正長元年(1428)に相模国(大磯町)生沢の郷士・真宮彦四郎宗信が再建した。
  • 永正元年(1504)に北条長氏(早雲)が境内免除の墨付を与えた。
  • 天正18年(1590)の小田原合戦のとき、社殿が再び兵火で焼失し、元和偃武(元和元・1615)の後、別当の秀泉が『風土記稿』当時の社殿を再建した。

とのことだった(3)

神体

祭神は猿田彦命、神体は像高9寸5分(約28.8cm)の木造の座像で、実応の作とされていた(3)

本地仏は地蔵菩薩、像高1尺8寸(約54.5cm)の木造の立像で、行基の作とされていた(3)

境内

社殿

『風土記稿』のとき、小船村の白髭社の境内には幣殿と社殿があった(3)。石鳥居に、関思恭の筆により「中村社」と記した扁額が掲げられていた(3)

能引寺

『風土記稿』のとき、小船村の白髭社の別当寺だった能引寺(のういんじ)は、旅神山清宝院と号する本山修験寺院で、本尊は不動尊(3)。開祖は実頂(縁起によると建暦2年・1212年没)(3)。小田原(本町)の玉滝坊触下の寺院で、白髭社の他に、小船村の三島社、小竹村の天神社の別当寺もしていた(3)

  • 縁起によると、実頂は、江州志賀(滋賀県大津市)の住人で、松浦四郎入道綱泰の次男だったが、霊夢をみて下向して当初に至り、氏を「志沢」と改め、後に修験道に入って白髭社を再興し、別当となった。建暦2年(1212)7月7日に没した(3)

末社

『風土記稿』のとき、小船村の白髭社の境内には、末社の山神社神明社および疱瘡神社があった(3)

鐘楼

『風土記稿』のとき、小船村の白髭社の境内の鐘楼の鐘は、安永8年(1779)に鋳造されたものだった(3)

神木

『風土記稿』のとき、小船村の白髭社の境内には、幹囲7尺3寸(約2.2m)のの木が生えていた(3)

年中行事

『風土記稿』のとき、小船村の白髭社の祭礼は毎年の旧暦9月9日だった(3)。中村原のうちの、字・五三原という所に神輿を置いて、神事が行われた(3)。また正月の3ヶ日および8日に、流鏑馬などの儀式が行われていた(3)

月日 祭礼名
1/1 祈願祭・歳旦祭
1/7 奉射祭(ぶしゃさい)
2/11 祈年祭
7/15近い日曜日 小祭
10/10 例大祭
11/23 新嘗祭
12/26 大祓

資料:神奈川県神社庁(2)

リンク

参考資料

  1. 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
  2. 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>白髭神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
  3. 『風土記稿』

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