石橋山の合戦(いしばしやまのかっせん)は、治承4年(1180)8月に、右兵衛佐・(源)頼朝が300余騎を率いて石橋に在陣していたところに、平氏方の大庭三郎景親らが3,000余騎にて押し寄せて起きた合戦。頼朝は敗れ、土肥杉山(湯河原町)へ逃走した。(1)

同月23日に頼朝方の佐那田余一(佐奈田与一)義忠武藤三郎、および郎等・豊三家康らが戦死したこと、建久元年(1190)正月に、石橋山を通りかかった頼朝が、佐奈田義忠の墳墓(与一塚)豊三家安の墳墓(文三塚)を目にして、昔のことを思い出して涙したことが『吾妻鏡』にみえる(詳細は佐奈田与一の記事を参照)。(1)

参考資料

  1. 『風土記稿』石橋村 佐奈田与一義忠墳