福厳寺(ふくごんじ)、円通山は、中町2丁目にある曹洞宗の寺院。本尊は十一面観音。江戸時代には駿州阿部郡敷地村(静岡県静岡市駿河区向敷地)徳願寺の末寺で、中町の永昌院、吉祥院、東壁院および寿町の願成寺は福厳寺の末寺だった。(1)
沿革
寺記によると、永正元年(1504)に、徳願寺の僧・大用晨甫(大永2年・1522没)が創建。当時は福門寺と号した。(1)
3世・徹厳のとき、皆川市正通厳が中興開基し、大永2年(1522)に今の寺号に改めた。また往古から寺地も変遷したとみられている。(1)
- 皆川通厳は天文7年(1538)5月15日没で、法名:福厳殿以津喜公(福厳寺の位牌にあり)。旗下の士・皆川森之助康郡の先祖といわれていたが、皆川家の系譜には市正通厳と称した人物は見当たらなかった。(1)
天正18年(1590)10月に、6世・安州誾宅が徳川将軍の命令を受けて天桂院の導師を務め、境内に埋葬して客殿に位牌を安置した(1)。
明治5年(1872)に火災で全焼(2)。33世・天利俊禅が中興した(2)。
什宝
天桂院の遺物
寺には、天桂院の遺物として、鞍2口、鐙1掛、挟箱1合が遺されていた(1)。
- 鞍は、前輪のみがあり、黒塗りで梅花唐草の蒔絵があったように見えたが、剥落していた。
- 鐙は、黒塗りで、五六(硬い材質の木材?)の鐙だった。
- 挟箱は、春慶塗りで、黒塗りの面取がされており、銅物が所々欠損していた。
浅野長重内室寄納の卓囲
慶長11年(1606)と寛永3年(1626)に天桂院の息女の浅野采女正長重内室が寄納した卓囲(テーブルクロス)4張があった(1)。
境内
1970年当時、境内は304坪(約31.7m四方)、建物は本堂45坪(約12.2m四方)、位牌堂(鉄筋・RC造)13坪(約6.6m四方)、庫裡58坪(約13.8m四方)(2)。墓地515坪(約41.3m四方)(2)。
白山神社
境内に白山神社があった(1)。
天桂院の墓
境内に天桂院の墓があった(1)。
観音堂
境内に「龍珠山東壁院」の扁額の掛かっている御堂がある(2019年調査)。
活鰻活魚之碑
境内に「活鰻活魚之碑」がある(2019年調査)。
中島保育園
1970年当時、中島保育園を経営していた(2)。
2019年現在も、境内入口を入った東側に、保育園の入り口がある(2019年調査)。
寺紋
リンク
- 紋谷幹男「第1745回 福厳寺(ふくごんじ)曹洞宗/神奈川県小田原市中町」『お宮、お寺を散歩しよう』2015年9月21日
- 鎌田篤司「天桂院殿墓参記」『かまだ篤司の伝言板』No.101、2014年(平成26)10月10日
参考資料
- 『風土記稿』
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.421