稲荷社旧址(いなりしゃきゅうし)は、小台にあった稲荷社(稲荷大明神、稲荷神社)の跡地。江戸時代、小台村には村持ちの稲荷社があったが、1914年に近隣の3社と共に飯田岡の飯田神社に合祀された。1934年に小台の日枝神社が同社の旧地に分祀された際に、稲荷社も同地に移された。1984年当時、御神体と祠は日枝神社の二の鳥居の傍らに祀られている。
沿革
寛文12年(1672)の『足柄下郡小台村明細帳』に、小台村に2社ある宮のうちの1つとして、由緒不明の稲荷大明神があった(もう1社は山王権現)(5:13)。
『風土記稿』のとき、小台村には村持ちの稲荷社があり、同じく村持ちの山王社とともに、小台村の鎮守とされていた(1)。
1914年(大正3)3月に、小台の字屋敷添にあった稲荷神社は、小台の字荒井島(1984・昭和59年当時の、小台日枝神社の一の鳥居のあたり)にあった日枝神社(小台日枝神社)、柳新田の字屋敷添にあった稲荷神社(柳新田稲荷神社)、新屋の字川久保にあった稲荷神社(新屋稲荷神社、4社はいずれも無格社)と共に、飯田岡の字本村にあった村社・飯田神社に合祀された(2)。
1934年(昭和9)3月に、飯田神社に合祀されていた小台の日枝神社と稲荷神社が、小台の日枝神社の旧地に分祀された(2)(3)。分祀に先立ち、1933年(昭和8)に、稲荷神社は日枝神社に境内社として合祀された(4)。
1984年(昭和59)・1990年(平成2)当時、稲荷社は、小台の日枝神社の境内社となっており(2:25)(4)、1984年当時、御神体と祠が二の鳥居の傍らに祀られてあった(5:15)。
旧址
市川1984によると、稲荷社は、「日枝神社の東から井上棟作氏宅裏を水路沿いに東に行き、台堰と交差する地に祀られて」いて、「現木村鋋一郎氏宅の傍で宮地として残されて」いた(5:15)。
参考資料
- 『風土記稿』成田庄 小台村 稲荷社
- 綾部1984:綾部寿美子「小台 日枝神社(沿革と縁起)」富水西北史談会『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、21-25頁
- 著者不明「飯田神社 由来」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 著者不明「日枝神社」現地案内板、1990年(平成2)2月、2022年閲覧
- 市川1984:市川幸雄「昔の小田原と西北4部落の成立」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、10-16頁