第三分教場(だいさんぶんきょうじょう)、足柄下郡立尋常高等足柄小学校第三分教場(あしがらしもんぐんりつじんじょうこうとうあしがらしょうがっこうだいさんぶんきょうじょう)は、1920年(大正9)に設置された、尋常高等足柄小学校の分教場(1)。小学校1-3年生が修学し、4年生になると足柄小学校の本校(1984年当時の白山中学校の所在地にあった)へ通学した(1)。1947年10月、新制富水小学校の開校に伴い廃止された。

沿革

1920年(大正9)10月30日、飯田岡字若宮の尋常富水小学校が廃止された後に、改めて設置された(1)

1921年(大正10)、実科高等女学校(1984年当時の城東高校の前身)を併設(1)

1923年(大正12)、関東大震災で校舎が半壊(1)

1940年(昭和15)、小田原市の市制施行により、足柄下郡立から小田原市立に移行(1)

1941年(昭和16)、国民学校令公布により、尋常高等足柄小学校足柄国民学校に改称(1)

1947年(昭和22)10月1日、戦後の学制改革に伴って足柄小学校から分離され、新制富水小学校開校(1)

参考資料

  1. 松蔭良子「教育の今昔」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、65-72頁

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