『風土記稿』によると、19世紀前半頃、入生田の紹太寺には、清雲院以下の5つの子院があった(1)。その頃、紹太寺の主要伽藍の堂宇は石段の参道を上った所にあったが、2022年現在は残っておらず、総門跡近くの清雲院が紹太寺の本堂となっている(2)(3)。清雲院以外の子院も現存していないもよう(3)。
清雲院
本尊は釈迦如来。始祖は雲谷。寛文年間(1661-1673)に創建された。(1)
刻銘石「松樹王」
小田原市教育委員会の現地案内板によると、清雲院の山門の手前にある、左側面に「長興山境」と刻まれている刻銘石「松樹王」は、東海道の風祭と入生田の境にあった境界石。かつての寺領には「長興山境」の銘のある石が7ヶ所にあったと伝わり、このうち5基が確認されているという。(2)
扁額
2022年現在、清雲院の本堂正面にある扁額は、かつて総門に掲げられていたもの(紹太寺総門跡を参照)(2)(3)。
長興山開発供養塔
本堂裏手の墓地に、長興山開発供養塔がある(4)。
梧樨院
寛文年間(1661-1673)に鉄牛の父母の追福のために創建され、旧師・妙心提宗を招請して開祖とした。院の側に観音堂があり、同の後ろに深さ1丈(約3m)、2間4尺(4.85m)四方の洞窟があった。(1)
甘露院
紹太寺の本坊2世・超宗の母が長らく幽棲していた場所で、寛文年間(1661-1673)にその母を開基:甘露院静安素貞尼師として、1院とした。側に薬師堂があった。(1)
幻奇庵
これも寛文年間(1661-1673)に造られ、超宗が隠棲の場所とした。本尊は観音菩薩。(1)
正定院
もと「梅原庵」という子院で、廃止されていたものを、享保12年(1727)に海保半兵衛盛之という者が当山4世・大痴に請願して創建した。僧・高隠を1世とし、祖父・半兵衛正定の冥福を修したことから、正定を開基とした。正定は法名:頓誉常円。本尊は正観音で、運慶の作とされていた。(1)
参考資料
- 『風土記稿』入生田村 紹太寺
- 小田原市教育委員会「子院・清雲院(現・長興山紹太寺)」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 2022年調査
- 「黄檗宗 長興山・紹太寺」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧