紹太寺総門跡(しょうたいじそうもんあと)は、入生田の旧東海道沿いにある、紹太寺の総門の跡。
ケンペルの手記
現地にある小田原市教育委員会の案内板によると、元禄4年(1691)にドイツ人の博物学者・ケンペルが記した『江戸参府紀行』に、紹太寺の総門について「入生田村は、小さな村で、その左手の四角の石を敷き詰めた所に紹太寺という立派な寺がある。この寺の一方側には、金の文字で書かれた額があり、しかも前方には、金張りの文字のついた石造りの門が立っている。」と書かれている(2)。
1928年(昭和3)の駿南社版『ケンプウェル江戸参府紀行』には、「入生田 Iriuda は小き村にて。左手に方形の石を敷詰めたる場所にいと優れたる寺あり。浄泰寺 Tsjo tai si と云ひ、其一側には美しき飛泉あり。他側には金字を書きたる柱牌 Tafel あり。その前に石の門ありて長興山 Tsjo too San といひ、鍍金の題字あり。」とある(3)。
扁額
『風土記稿』の頃、総門には、隠元書の「長興山」の扁額が掲げられていた。また門の外に、貞享4年(1687)に領主から下された、境内の竹木をみだりに苅伐することを禁ずる制札が掲げられていた。(1)
2022年現在、総門の扁額は、総門から少し上った所にある子院・清雲院の本堂正面に掲げられている(2)(4)。
門前の石積み
小田原市教育委員会の現地案内板によると、総門の南側に積み上げてある加工された石は、かつて総門に使用されていたと考えられている(2)。
六地蔵
総門を入って南側に、六地蔵がある。現地案内板によると、建立時期は、寛永(1624-1644)・慶安(1648-1652)・寛文(1661-1673)の年銘があり、江戸初期に遡るが、像によってまちまちとなっている(5)。
参考資料
- 『風土記稿』入生田村 紹太寺
- 小田原市教育委員会「長興山紹太寺総門(大門)跡」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 「入生田」呉秀三(訳註)『ケンプェル(第1回)江戸参府紀行(上巻)』〈異国叢書 第6〉駿南社、1928・昭和3、415-416頁
- 2022年調査
- 小田原市教育委員会「六地蔵」現地案内板、2010・平成22