綾部 粂次郎(あやべ くめじろう、1849年 - 1936年)は、小台出身の実業家。酒造業で財をなし、のち足柄銀行の頭取となった。関東大震災(1923年)の後、菩提寺だった小台の蓮乗寺の復旧に尽力し、1934年の小台の日枝神社・稲荷社の分祀のために多額の寄附をした。また西北各部落の鎮守社や、消防組・青年団、足柄小学校や道路・橋梁の建設の際にも多額の寄附をした。
経歴
嘉永2年(1849)12月29日、小台に生まれる(1:25)。
壮年の頃、自家米をもとにして酒造業を始めた(1:25)。毎年冬に越後から3人の杜氏(とうじ)を招いて醸造を行い、近隣の好評を受けて、財を成した(1:25)。
1912年(大正元)に4女に婿を迎えて酒造業を譲渡した(1:25)。
時期不定で、井細田にあった足柄銀行の頭取に就任した(1:25)。
- 綾部は、晴れた日には小台から井細田まで歩いて通っていた(1:26)。大雨の日は馬車で通い、小田原の学校へ通っていた五女・マサも同乗させてもらっていた(広小路まで10銭だった)(7)。
早くから神社仏閣への寄附を行い、無縁仏の供養のために地蔵菩薩像を建立し、また(1923・大正12)関東大震災のときには、位牌所だった蓮乗寺の復興に尽力した(2)。
喜寿のとき(推定1925・大正14)、小台・新屋・柳新田の鎮守だった神社と西北消防組・同青年団、足柄小学校、道路・橋梁などに多額の寄附をした(2)。
(1926年・昭和元)昭和天皇即位のとき、天杯を下賜された(2)。
当時、飯田岡の飯田神社に合祀されていた小台の日枝神社の分祀のため、2,500円を寄附し、境内地拡張のため5畝(約500m2)の土地を寄進(2)(3)。1934年(昭和9)3月に神苑・社殿が竣工し、小台の日枝神社と稲荷神社が分祀された(3)(4)。このとき、社前の石灯籠1対を寄進した(2)(3)。
同年、新屋稲荷神社と柳新田稲荷神社に鳥居を奉納した(5)(6)。
同年(昭和9)4月に綾部粂次郎翁頌徳碑が建立された(2)。
1936年(昭和11)8月13日に死去、享年88(1:27)。法号:無量院宝雪誉弘誓転輪居士(1:27)。墓は蓮乗寺にある(1:27)。
家族
綾部一雄の祖父(1:25)。
参考資料
- 穂坂正夫「綾部粂次郎翁頌徳碑」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、25-27頁
- 同書26頁、「綾部粂次郎翁頌徳碑」の碑銘による。
- 綾部寿美子「小台 日枝神社(沿革と縁起)」富水西北史談会『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、21-25頁
- 著者不明「飯田神社 由来」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 村越栄子「新屋稲荷神社(沿革と縁起)」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、27-30頁
-
穂
稲坂正夫「柳新田稲荷神社(沿革と縁起)」同書30-32頁 - 松蔭良子「教育の今昔」同書68頁