菅原神社(すがわらじんじゃ)は、国府津にある神社(1)。2021年1月1日現在、神社本庁傘下の被包括宗教法人(1)。安楽院を別当寺とする国府津の天神社(本地仏・十一面観音)のことは弘治元年(1555)の宝金剛寺文書などにみえ、戦国時代以来の存続が確からしい。明治2年(1869)神仏分離令で別当寺廃止。1889年(明治22)安楽院の火災で旧記類を焼失、1903年(明治36)火災で祠宇焼失し1912年(明治42)に再建。1909年(明治42)国府津各所にあった5社を合祀した。
沿革
創建
『風土記稿』によると、国府津の天神社(菅原神社の前身)の別当寺だった安楽院は、元応2年(1320)、僧・高伝(同年没)によって創建された(8)。
戦国時代
弘治元年(1555)5月に後北条氏の評定衆・石巻下野守康保が、国府津における寺社の修造に従事すべき番匠の事を指示するために送った文書(宝金剛寺文書)の中に、「於国府津番匠可召仕事、八幡宮・天神宮修造之時、倩次第何成共可召仕事、(・・・)」とみえる(7)。
また、『風土記稿』のとき、安楽院が写しを所蔵していた(原本は逸失していた)、天正15年(1587)9月に後北条氏の評定衆・板部岡江雪斎が出した制札は、「田島郷天神別当安楽院」宛てで「右於社中并別当屋敷」における「横合非分狼藉」を禁じていた(詳細は安楽院を参照)(8)。『風土記稿』は、「田島郷天神」「社中」が国府津の天神社で、安楽院はその別当寺だったと解している(8)。
江戸時代
『風土記稿』のとき、安楽院は、国府津の天神社とその末社(稲荷社、諏訪社)のほか、国府津の八幡社、浅間社、山王社、神明社、稲荷社の管理もしていた(4)。
明治期
明治2年(1869)、明治維新の神仏分離令により、別当寺は廃止され、神官が配置された(5)(9)。
1889年(明治22)7月16日、安楽院が火災で焼失。1892年(明治25)に再建されたが、菅原神社の縁起を含む旧記・什宝が焼失した。(5)(9)
1903年(明治36)1月26日、火災により祠宇を焼失(5)。
1909年(明治42)8月、政府の指示により、(安楽院が管理していた)末社の諏訪社(祭神:建名形神)と国府津各所にあった八幡神社(祭神:誉田別命)・浅間神社(祭神:木花咲耶姫命)・稲荷社(祭神:倉稲魂神)・神明社(祭神:天照皇太神)・日枝社(祭神:大山昨命)を(本殿に)合祀(5)。
1912年(明治45)3月、祠宇の再建に着工、同5月に竣工(5)。
1917年(大正6)11月、神奈川県告示により神饌幣帛料供進神社に指定された(5)。
1922年(大正11)、幣殿を増設(5)。
1923年(大正12)、関東大震災では、鳥居や石垣が崩れ、境内の周囲1丈8尺(約5.5m)の松の木(龍灯松)が折れるなどの被害が出た(10)。
什物
神体
『風土記稿』のとき、国府津の天神社の神体は、木像の立像で、本地仏・十一面観音とされていた(4)。この像は安楽院に置かれていた(4)。
境内
『風土記稿』によると、国府津村の天神社の境内には、幣殿・拝殿があり、神楽堂と、社を守る人が住んでいる庵があり、末社に諏訪社と稲荷社があった(4)。
また神木として、それぞれ周囲が1丈(約3m)余ある楠(くすのき、クス)・槻(つき、ケヤキ)・椋(むく、ムクノキ)・山礬(しば、タブノキ)などの老木が生えていた(4)(6)。
『国府津町誌』によると、往古は菅原神社の境内の樹叢を「諏訪の森」と称した、という(5)。
諏訪社
『風土記稿』のとき、国府津村の天神社には末社の諏訪社があった(4)。
諏訪社は、別に除地を附されており、社前に寛永3年(1626)の石灯台があった(4)。
2022年現在、菅原神社の境内には諏訪社がある(3)。
稲荷社
『風土記稿』のとき、国府津村の天神社には末社の稲荷社があった(4)。また天神社の別当寺だった安楽院は、国府津の別地にあった稲荷社の管理もしていた(4)。
1909年(明治42)8月に国府津の別地にあった稲荷社は、菅原神社に合祀された(5)。
2022年現在、菅原神社の境内には稲荷社がある(3)。
撫で牛
菅原道真の歌碑
境内に菅原道真の歌碑があった(3)。
碑銘:こちふかは にほひ/おこせよ 梅の花 あるしなしとて/春をわするな(3)
忠魂碑
『国府津町誌』によると、境内の忠魂碑は、1907年(明治40)に在郷軍人会会員が発起・建立したもので、表面の碑文は陸軍大将・乃木希典の揮毫、裏面は当時の小学校長・田代藤次郎の撰(5)。
樹木
境内東側にあるムクノキは、菅原神社のムクノキとして、1981年(昭和56)に小田原市の天然記念物に指定されている(6)。
年中行事
月日 | 祭礼名 |
1/1 | 歳旦祭 |
1/25 | 初天神祭 |
4/25 | 例大祭 |
12/25 | 納天神祭 |
毎月25日 | 月次祭 |
資料:神奈川県神社庁(2)
例祭
『風土記稿』によると、国府津村の天神社の例祭は、旧暦の6月晦日に行われていた(4)。『国府津町誌』によると、菅原神社の例祭日は、明治初年(6年・1873誤ヵ)の改暦に伴って(旧暦)6月晦日から(新暦)7月31日に改められ、1896(明治29)に4月30日に改められ、1898年(明治31)に4月25日に改められた(5)。
リンク
- カナロコ「半世紀ぶりの「神輿渡業」復活…保存会の情熱実る/小田原・菅原神社」神奈川新聞、2010年4月29日
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小田原の端々
- 「小田原市国府津 菅原神社の納め天神と安楽院のだるま市」、2012年12月25日
- 「小田原市国府津 菅原神社のムクノキ」2018年7月10日
- YouTube「国府津 菅原神社」の検索結果
参考資料
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人 > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1 宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 神奈川県神社庁ウェブサイト>神社詳細>菅原神社、更新時期不明、2023年2月10日閲覧
- 2022年調査
- 『風土記稿』成田庄 国府津村 天神社
- 国府津町誌編纂委員会「菅原神社」『国府津町誌』国府津町、1954、195-197頁
- 小田原市教育委員会「菅原神社のムクノキ」現地案内板、設置時期不明、2022年閲覧
- 『風土記稿』成田庄 国府津村 宝金剛寺
- 『風土記稿』成田庄 国府津村 安楽院
- 「安楽院」『国府津町誌』201-202頁
- 「大正12年大震災の記」『国府津町誌』221頁