蓮台寺(れんだいじ)、国府山金光院は、国府津にある時宗の寺院。本尊は三尊阿弥陀。永仁5年(1297)、藤沢・遊行寺(清浄光寺)2世・真教(元応元年・1319没)の開基。江戸時代には清浄光寺の末寺で、山西の光福寺、国府津の光明寺、酒匂の上輩寺・中輩寺は連台寺の末寺だった。(6)
沿革
昔は境内が広く、寺産が200貫ほどあって、国府津道場と呼ばれていた。寺の近くに「念仏免」という字の水田が残っており、寺の裏山は「道場山」と呼ばれていた。(6)
『鎌倉大草紙』に永享12年(1440)の結城合戦のとき、蒲原播磨守某が国府津の道場に陣を取ったと見えるのは、往時の蓮台寺のこととみられている(6)。
永享12年(1440)8月、御所方なる箱根別当、大森伊豆守/結城の後詰に馳せ参るとも申ければ、蒲原播磨守は、国府津の道場に陣を張て待かけたり。(『鎌倉大草紙』 - 『風土記稿』より) |
- 『風土記稿』は、19世紀前半当時、蓮台寺は東海道の往還から北に6・7町(660-770m)入った位置にあったことから、昔は東海道が当時の経路よりも北側を通っていたと推測している。(6)
国府津・宝金剛寺所蔵の天文24年(1555)5月の文書(宝金剛寺文書)に、蓮台寺を建立したときに番匠・大工などの取り決めがあったことがみえる(6)。
文化8年(1811)、火災により堂宇・旧記を焼失し、文正4年(1821)3月、35世・澄随のときに堂宇が再建された(8)。
1908年(明治41)9月、国府津小学校の校舎の移転・改築に際し、児童の一部を受け入れた(翌年4月末まで)(10)。
1914年(大正3)3月7日、火災により堂宇を焼失(9)。同年に再建された(9)。
什宝
真教坐像
2003年秋に、蓮台寺に伝わっていた木造の真教上人像を解体修理したところ、頭部の内側に墨書で「南無阿弥陀仏」「文保二年(1318)二月十三日 于時御歳八十二」と書かれており、真教の生前に製作された寿像であることが判明した。2005年6月に「木造真教坐像」として国の重要文化財に指定され、像は神奈川県立歴史博物館に寄託された。蓮台寺には寿像を模して造られた「平成の二祖像」が置かれている。(1)(2)(3)(4)(5)
扁額
『風土記稿』のとき、本堂に掛かっていた「蓮台寺」の扁額は後醍醐天皇の宸筆(6)、山門の「国府山」の三字額は東山天皇の宸筆といわれていた(8)。
境内
境内社
『風土記稿』のとき、境内に、文禄3年(1594)3月に再建された熊野社があった(6)。
松の木
『風土記稿』のとき、門外にある周囲1丈3尺(約3.9m)の松の木は、「龍灯出現の松」と呼ばれていた(6)。
土砂災害特別警戒区域
蓮台寺の境内の一部を含む国府津06-3の区域(206-H26-73 国府津06-3)は、神奈川県の土砂災害特別警戒区域(急傾斜)に指定されている(2021年3月19日 告示第150号)。(7)
寺紋
寺紋は、隅切角に三。(2019年調査)
年中行事
開山忌 | 春彼岸中日 |
施餓鬼会 | 8月16日 |
熊野権現祭 | 10月第1土曜日 |
大晦日法要 | 12月31日 |
読経会 | 毎月第2水曜日 |
踊り念仏会 | 〃 |
境内清掃 | 毎月第2日曜日 |
白蓮会(花の会) | 毎月第3木曜日 |
檀徒作品展 | 年4回(春 夏 秋 冬) |
出典:蓮台寺の案内板、2018年6月(1)
リンク
- 時宗蓮台寺ウェブサイト
- Ai Qualia「【Ai Qualia】時宗 蓮台寺様 紹介動画」2020年9月29日
参考資料
- 蓮台寺 42代住職 吉川晃「時宗 蓮台寺 ご案内」蓮台寺入口の案内板、2018年(平成30)6月
- 文化遺産データベース「木造真教坐像」文化庁、更新時期不明
- 神奈川県立歴史博物館 ホーム 展示 過去の展示 【特別展】時宗二祖上人七百年御遠忌記念 真教と時衆
- 「特別展『国宝 一遍聖絵と時宗の名宝』が京都国立博物館で開催 国宝「一遍聖絵」全12巻を全巻公開」SPICE、2018年12月13日
- 小田原市文化部文化財課「彫刻・蓮台寺の真教坐像」小田原市公式サイト、最終更新 2013年5月31日
- 『風土記稿』
- 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図
- 寺院総覧編纂局『大日本寺院総覧』明治出版社、1916・大正5、p.632
- 国府津町誌編纂委員会「蓮台寺」『国府津町誌』国府津町、1954、202頁
- 『国府津町誌』72頁