西光寺(さいこうじ)は、かつて府川村の字天神下にあった曹洞宗の寺院。慶長15年(1610)に、久野総世寺10世で、府川・正応寺を創建した僧・伝室光[麻香]が建立して隠棲していたが、元和年間(元年・1615)に没した後、無住となった。(1)

  • 『風土記稿』の谷津村 慈眼寺の項では、万治3年(1660)に香[麻香]が没して廃蹟となった、としている。(2)

万治3年(1660)に総世寺18世(3)の僧・実全が小田原・谷津村(城山)に西光寺の寺号を引遷して慈眼寺を建立した(1)

  • 『風土記稿』の谷津村 慈眼寺の項では、元禄16年(1703)11月23日の大地震の後、大久保加賀守忠増が実全と相談して、宝暦4年(1707)に寺号の引遷につき幕府の許可を得、黄檗宗に改宗した上で、正徳5年(1715)に堂宇を造立するに至ったとされている(2)

このため、府川の西光寺跡の除地も慈眼寺が所有していた(1)。段別が4畝4歩(34坪、約112m2)あり、『風土記稿』の頃には林となっていた(2)

リンク

参考資料

  1. 『風土記稿』府川村 西光寺蹟
  2. 『風土記稿』谷津村 慈眼寺
  3. 総世寺本堂裏庭にあった2018年頃建立の歴代住職の墓碑の写し(2022年調査)は、元宝実全を19世としている。