酒匂堰(さかわぜき)は、『風土記稿』の頃、足柄上郡大井町金手酒匂川を堰上げ、下大井から東大友へ流れ、国府津の西で森戸川に合流していた用水(1)。水路の長さはおよそ2里半(9.8km)、幅は4間(約7.3m)(1)。慶長年間(1596年 - 1615年)に開削されたという(1)(2)。足柄上郡では上大井、下大井、西大井の3ヵ村、足柄下郡では東大友、西大友永塚千代高田別堀下堀中里矢作酒匂小八幡、国府津、前川の13ヵ村の用水としていた(2)

2000年現在は、南足柄市開成町の境(南足柄市遠藤島1543の5)の、文命用水が酒匂川に放流される手前の地点で取水し、酒匂川の右岸(西側)を南下した後、新十文字橋手前でサイフォン(噴上溝)により酒匂川をくぐり、更に松田町でサイフォンで川音川をくぐり、金田堰を分水して、大井町西大井のわかもと製薬大井工場の西側で鬼柳堰を分水している(3)。更に、上大井と下大井の境で菊川と合流して、永塚で再び別流となり、千代小学校の西側、旧下府中小学校西側を流れ、その途中で黒壗堰和田堰川久保堰を分水し、国府津の親木橋手前で森戸川と合流している(3)

名称

「堰(せき)」は「用水路」の意で、『風土記稿』は、河水を堰入れるという意味でそう呼んでいるのだろう、と推測している(2)

参考資料

  1. 『風土記稿』巻3 山川 酒匂堰
  2. 『風土記稿』巻22 足柄下郡 1 図説 酒匂堰
  3. さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、48-49頁

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