鈴木 英雄(すずき ひでお、1877年 - 1962年)は、小田原出身の官僚、政治家。1903年に東京帝国大学を卒業して農商務省に入省し、1919年に退官。水産関係などの事業に関わった後、1928年から衆議院議員を4期務めた。1944年から1946年まで小田原市長。1951年に小田原信用組合の経営再建に携わり、小田原信用金庫の理事長を務めた。後の小田原市長・鈴木十郎は実弟。
経歴
1877年(明治10)11月30日、鈴木善左衛門の長男として小田原駅に生まれる(1)。
1903年(明治36)、東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省(1)。
1919年(大正8)、特許局長を最後に退官(1)。
その後は水産関係などの事業に関わった(1)。
1928年(昭和3)以降、衆議院議員を4期務める(1)。
1944年(昭和19)、小田原市長に就任(1946・昭和21年まで)(1)。
(戦後、戦争協力者として公職追放(2)。)
1951年(昭和26)6月、追放解除(2)。
同月、小田原信用組合が解散の危機に瀕したとき、その収拾にあたり、小田原信用金庫の理事長として、再建を成し遂げた(1)。
1962年(昭和37)3月8日に死去、享年84。同月10日に小田原市名誉市民の称号を贈られた(1)。
家族
後に小田原市長となった鈴木十郎は実の弟(1)。
銅像
1968年当時、本町2丁目9-25の小田原信用金庫内に1960年(昭和35)11月に造立された「鈴木英雄先生像」があり、また本町1丁目5-12の小田原市民会館内に1967年(昭和42)10月に造立された「名誉市民鈴木英雄先生像」があった(1)。
参考資料
- 小田原市郷土文化館「21 鈴木英雄先生像」「22 名誉市民鈴木英雄先生像」『小田原の金石文 (2)』小田原市郷土文化館研究誌No.4、1968、16-17頁
- 40周年記念誌編集委員会『小田原市中央公民館40周年記念誌 未来へ 私たちの公民館』小田原市教育委員会 中央公民館、1990年12月、19頁