鉄牛(てつぎゅう、生年不詳 - 元禄13年・1700没)は、黄檗宗の僧侶、入生田・紹太寺の中興開基。
経歴
寛文9年(1669)に稲葉正則が紹太寺の寺地を小田原・山角町(南町)から入生田に移したとき、招請されて同寺の開山第1祖(中興開基)となった。(1)
寛文年間(1661-1673)に父母の追福のため紹太寺の山内に子院・梧樨院を創建し、旧師・妙心提宗を招請して開祖とした。(1)
紹太寺の開山堂には、鉄牛書の「慈昭堂」の額が掲げられており、木造が安置されていた。楼門の「紹太禅寺」の扁額は鉄牛の書になるものだった。また紹太寺の書院の北の山腹に開山の寿塔(生前に建てた自分の塔婆)を建立した。(1)
元禄13年(1700)8月20日に死去。正徳2年(1712)の十三回忌のとき、敕によって「大慈普応禅師」の諡を賜った。(1)
著書
- 『鉄牛語録』(1)(鉄牛道機(著)『鉄牛禅師語録』延宝7年(1679)・元禄13年(1700)刊がある)(2)
参考資料
- 『風土記稿』入生田村 紹太寺
- 国文学研究資料館「日本古典籍総合目録データベース」