間中 喜雄(まなか よしお、1911年 - ?年)は小田原出身の医師、本町間中病院の元院長。

経歴

1935年(昭和10)、京都大学医学部を卒業し、医師となる。

1940年(昭和15)、召集され、のち一旦復員。

1941年(昭和16)、30歳のとき、軍医として再召集される。

1945年(昭和20)8月15日、沖縄・宮古島で敗戦を迎える。宮古島で飢餓状態を経験する。

敗戦後の10ヵ月間、沖縄の米軍捕虜収容所で過ごす。

間中喜雄碑

1989年(昭和64)、戦争への怒りと戦争の愚かさを記した碑を久野東泉院に建立(間中喜雄碑)。

参考資料

  1. 小田原市役所総務部総務課「市内戦争遺跡巡り/訪ねるコース」小田原市公式サイト、作成日 2018年7月11日

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