関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12)9月1日に発生した、地震による被害(1)

1923年(大正12)9月1日の11:58:44にマグニチュード7.9の地震が起きた(2)。小田原の震度は6(2)。震源は伊豆大島付近で、相模湾の海底に顕著な陥没と隆起を生じた(2)

『神奈川県震災誌』によると、小田原町では、総人口約24千人のうち、11千余人が死傷した(2)

小田原海岸は地震によって約6尺(1.8m)隆起し、堤防の外に約30間(54.5m)の砂浜を生じた(2)

根府川では土砂崩れ(山津波)が起きて部落が埋没し、当日海岸で遊泳していた児童数十人が海へ押し出されて行方不明となり、熱海線小田原真鶴行きの列車が根府川駅構内にさしかかった時に地滑りがおきて列車が停車場の地盤ごと海へ落ちるなどした(2)

また米神でも山津波が起き、21戸が埋没、62人が死亡した(2)

小田原町小峰(城山)の閑院宮邸には、閑院宮戴仁親王、同智恵子妃、同寛子姫、同華子姫が滞在していたが、寛子姫が、倒れた建物の下敷きになり死亡した(享年21)(2)

酒匂尋常高等小学校の訓導だった杉坂タキは、校内の奉安所に祀ってあった御真影を護ろうとして焼死したとして1937年(昭和12)6月に大阪市大手前公園(大坂城公園大手前広場)にある教育塔に祀られたが、教育史家の岩本努は、当時の戸田忠利校長が記した『大正12年9月 日誌』に杉坂訓導は火災の前に圧死していたとあることを再発見し、災害死は御真影と無関係だったが、軍国主義的な風潮の中で「烈死」のように話が作られたと結論付けた(2)

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参考資料

  1. 「年表」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、148-151頁
  2. 播摩晃一「大正12年9月1日」「根府川の山津波と列車墜落」「閑院宮邸の悲劇」「酒匂小学校御真影事件」同書58-63頁

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