電信(でんしん、1874年 - )
沿革
電信線の設置
横浜-長崎間の電信線は、政府(工部省)によって架設が計画され、明治4年(1871)8月4日に工事が開始された(3:208)。神奈川鉄道橋(青木橋、横浜市神奈川区金港湾にある陸橋)の第1号柱から順に電柱が立てられ、電信線が張られていった(3:208)。
平塚から先は、箱根越えではなく矢倉沢街道のルートが選ばれ、平塚から梅沢村(二宮町)-塚原村(南足柄市)を経て矢倉沢に至り、足柄峠を越えて静岡県の竹之下村(御殿場市)に達した。同月9日には工事が完了した(3:208)。
電信が京都まで開通したのは明治5年(1872)9月7日、長崎まで開通したのは1873年(明治6)10月1日だった(3:209)。
電信局の設置
開通当初、足柄県下には電信局が無かったが、工部省の要請によって同県が高梨町(浜町)に局舎(の建物)を買収し、1874年(明治7)6月10日に電信局(小田原局)が開設され、横浜をはじめ、各地との電信が開始された(1)(2)(3:210)。
また電信線の矢倉沢-足柄峠のルートは保守に難があったため、経路を箱根越えに変更することになり、1875年(明治8)4月に着工、同年6月7日に竣工した(3:210)。
参考資料
- 播摩晃一「初の電信、電話、電灯」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、30-31頁
- 「年表」同書148-151頁
- 山口修「電信線の延長」「電信局の増設」神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 通史編4 近代・現代 1 政治・行政 1』神奈川県、1980、208-211頁、第1編 第3章 第1節 4 通信網の伸張