願修寺(工事中、2022年)願修寺(がんしゅうじ)、東光山は、城山3丁目にある臨済宗大徳寺派寺院。本尊は地蔵菩薩。開山は雲岩眺(応永14年・1407)。開基は不詳。中興開山は紫野・大徳寺の前住職で箱根湯本早雲寺6世の泰岫宗初(天正2年・1574没)(1)(3)、中興開基は、今川氏親の娘、北条氏康の室で北条氏政の母の瑞渓寺(院)光室宗照大姉(元亀2年(1571)11月21日逝)。実際には氏政が中興したとされている。江戸時代には早雲寺の末寺だった。(1)

沿革

はじめ小田原城の中にあったが、稲葉氏が城主の頃、谷津村(城山)へ移されたといわれていた(1)

仏像

本尊の地蔵菩薩像のほかに、薬師如来立像(日光菩薩、月光菩薩を伴う、春日の作)、石像の十二神立像(弘法(大師)作)が安置されていた(1)

境内

天神社

境内に天神社があった(1)

樹木葬墓地

2022年8月8日に(株)366が企画し、(株)soilが造園した樹木葬墓地が開園予定(4)

薬師堂

小田原城下絵図のうち、元和・寛永初期(1614-1632)の製作と推定される『加藤図』には、JR小田原駅西口から、県立小田原髙校に向う通称「百段坂」の中段を右手に入った突当りの付近に薬師堂があるが、『文久図』では同じ場所は空白になっており、正徳5年(1715)に願修寺が9反3畝ト(2,791坪、約9,226m2)のうち3反5畝25ト(1,075坪、約3,554m2)を差上げ、入谷津(城山)の林地を替地として下され、所有地の残りが5反7畝5ト(1,715坪、約5,669m2)となったことが書き入れられている(2)

寺紋

願修寺 屋根 鬼板の寺紋(三つ鱗、2019年)寺紋は三つ鱗(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 風土記稿
  2. 田代道弥「小田原城さんぽ [185] 八幡山薬師堂付近まちの情報紙ポスト、2018年5月18日
  3. 岩崎正純「江戸時代の早雲寺 その断絶と再建過程」『三浦古文化』No.17、1975年5月、pp.27-42
  4. 株式会社366「女性とペットで人気の樹木葬墓地「小田原の森」8月8日開園 開眼法要のご案内」PR TIMES、2022年8月3日、arc.