養託寺(ようたくじ(3)、『風土記稿』「養詫寺」(1))、瑞渓山は、城山2丁目にある浄土真宗大谷派の寺院。本尊は阿弥陀如来。大久保氏の内庵の1つ。開基は釈顕了(長享2年・1488没)(4)または真暁法師(1)。肥前国松浦郡唐津(佐賀県唐津市)で創建され、大久保忠朝の転封に伴い、下総国佐倉(千葉県佐倉市)を経て、小田原へ移された。江戸時代には東六条・本願寺の末寺だった。(1)
沿革
開基は、『全国寺院名鑑』によると、釈顕了(長享2年・1488没)(4)。『風土記稿』によると、真暁法師で、元和2年(1616)に肥前国松浦郡唐津(佐賀県唐津市)に一寺を建立し、本山から山寺号の免許を受けた。(1)
4世・普門(享保5年・1720没)は、易学に精通しているとの評判があり、ときの城主・大久保出羽守(のち加賀守)忠朝からしばしば占考を命じられた(1)。
忠朝が延宝6年(1678)に下総国佐倉(千葉県佐倉市)に所領替えとなったとき、同地へ移された。このとき本山に申請して「養詫庵」と庵号に改めたが、五世・達秀のとき、旧号に戻したと伝わる(1)。
それから忠朝の転封に伴い、(貞享2年・1685に(4))小田原(の谷津村(4))へ移された(1)。
元禄14年(1701)7月16日に、忠朝の子・加賀守忠増が普門を呼んで易の講義を受けたことがあった。普門は中興と呼ばれている(1)。
『風土記稿』の頃には、侍屋敷に寺地があった(1)。
その後、火災や大風等で被災し、寺宝や記録を失った(4)。
1967年(昭和42)に、国鉄の新幹線工事と都市計画のため、現在地に(移転し)再建された(4)。
境内
1970年当時、境内は600坪(約44.5m四方)、建物は本堂50坪(約12.9m四方)、庫裡100坪(約18.2m四方)(4)。墓域は200坪(約25.7m四方)(4)。
年中行事
4月29日、報恩講(2)。
寺紋
リンク
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著者不詳「小田原 Ⅵ」『史跡訪問の日々』2019年2月15日
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大佗坊「大久保氏六内庵(養託寺・慈眼寺)」『大佗坊の在目在口』2014年12月13日
参考資料
- 『風土記稿』
- 真宗大谷派東京教区 > 寺院検索 > 養託寺
- 神奈川県ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 宗教法人 > 宗教法人について > 神奈川県知事所轄の宗教法人(令和3年1月1日現在) > 宗教法人名簿(令和3年1月1日現在) > その他1宗教法人名簿(PDF:708KB)
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.420