香林寺 山門香林寺(こうりんじ)、南谷山は、板橋にある曹洞宗寺院。本尊は薬師如来。江戸時代には早川海蔵寺の末寺で、板橋の宗福院(板橋地蔵尊)・宗久寺霊寿院など近郷12ヵ寺以上の本寺だった。(1)

開山は大樹乗慶(永正7年・1510没)、開基は北条氏綱の室(養珠院、天文7年・1538没)とされている(1)

しかし香林寺の所蔵文書によると、朝倉右京進(没年不詳)の祖父・朝倉播磨(守)(おそらく養珠院の先祖)が寺地を寄進して創建されており、香林寺3世・竹堂のとき、死去した養珠院の菩提を弔うために改めて堂宇が建立されたとみられている(1)

沿革

開山

開山は大樹乗慶(永正7年・1510没)で(1)、文明16年(1484)の開創と伝わる(7)

板橋村の老人が著した記録には、当寺の開創は寛正5年(1464)とあった(1)

延宝6年(1678)10月に人見友玄が記した寺記に、

香林禅寺者、大樹乗慶禅師所創基也、盖紹陽石室之旧跡也、大樹母北条氏、鎌倉之人也、祈絵島宇賀神、感霊夢有孕、大樹生而有異質、及幼眉睫之間生白毫、則知絶俗之祥、七歳而出家、其聡明兼人、或時詣宇賀神、忽然白蛇含玉捧大樹、大樹拝受之終身為至宝、十八而大悟、師事天室、遂伝安臾(叟?)一派之正脈、而与之紅袈裟、而証心印、於是欲終長艱之工夫、負笈入於石室、有禅余則覧大蔵経、多年大器已成、而出世唱法于相陽〔云々〕

とあった(1)
書き下し:

香林禅寺は、大樹乗慶禅師の創基する所なり。けだし紹陽(和尚)の石室の旧跡なり。大樹の母は北条氏、鎌倉の人なり。絵島宇賀神(江の島弁財天)に祈り、霊夢に感じて孕み有り。大樹生じて異質有り。幼に及びて眉睫の間に白毫を生ず。則ち絶俗の祥を知る。七歳にして出家す。その聡明は人を兼ねる。ある時、宇賀神に詣るに、忽然として白蛇、玉を含みて大樹に捧ぐ。大樹、これを拝受して、終身の至宝となす。十八にして大悟し、天室に師事す。遂に安臾(叟)一派の正脈を伝えて、之に紅袈裟を与え、心印を証す。是において長艱を終えん工夫を欲し、笈を負いて石室に入る。禅余有れば則ち大蔵経を覧る。年多くして大器已に成れば、世に出て相陽に法を唱ふ〔云々〕

大樹が感得したという玉は、当山に伝来していたが、享和3年(1803)、現住・桂芳の時に失ったとのことだった(1)

開基

開基は北条左京大夫氏綱の室。法諡:養珠院春苑宗栄大禅定尼。天文7年(1538)3月1日没。当寺に葬られたと伝わっていたが、葬地は不詳だった(1)

延宝年間(1673-1681)の寺の記録に、「及三世竹堂禅師、氏綱之夫人薨、乃薨之香林寺、諡号養珠院以建殿堂塔舎而寄荘園、其輪奐之美、不可勝言焉」とあった(1)

『風土記稿』は、この記録によると、当寺3世のときに、北条氏綱の室のために殿堂(塔舎)が造立され、そのために養珠院を開基と呼んでいるのだろう、と推測している(1)

小田原三寺

このような由緒から、以前は香林寺と海蔵寺および久野総世寺小田原三寺と呼び、三ヶ寺で西郡の(曹洞宗)一派を支配(統轄)していた(1)。しかし、延宝年間(1673-1681)以降は(千葉県市川市)国府台・総寧寺の直属となった(1)

戦国時代

かつて、後北条氏の家臣・朝倉播磨(守)という人が寺領を寄進した(1)

また永禄2年(1559)に北条氏政が寺中に禁制を発し、また寺領を寄進するなどしたことが、香林寺の所蔵文書にみえる(後出)(1)

江戸時代

慶安2年(1649)に、領主・稲葉美濃守正則が境内23石2斗5升3合の除地を寄進した(1)

末寺

『風土記稿』に香林寺の末寺とされている寺院には、板橋の宗福院(板橋地蔵尊)・宗久寺霊寿院のほかに、谷津(城山)の長吉寺、小田原山角町(城山)の庭松寺居神明神社別当)、箱根小田原町興禅院元箱根門前町興福院底倉常泉寺大平台林泉寺荻窪喜安寺延命院、多古(扇町)の利慶院がある(4)

什宝

本尊

本尊の薬師如来像は、像高が2尺5寸5分(約77cm)あり、行基の作とされていた。以前、板橋の字・南谷にあったものを、文明16年(1484)に本尊にしたといわれていた(1)『風土記稿』は、山号を「南谷」と云うのはそのためだろう、としている。

達磨図

達磨図1軸。厳有院(4代将軍・徳川家綱)の画といわれていた。官医・人見玄徳が拝領したものを、没後に香林寺に寄付したとのことだった。元禄5年(1692)の現住・義泉の添書があった。(1)

笈1個。開山(大樹乗慶)手沢(愛用)の物といい、榡製(装飾や塗装を施していないもの)で、たいへん古めかしいものだった。(1)

袈裟

袈裟2頂。1つは竹布製で、本寺(海蔵寺)の開山・安叟から伝来したものだった。もう1つは芭蕉布で作られており、紹陽和尚の伝衣だといわれていた。(1)

茶碗

茶碗1口。開山手沢の器とされていた。円径4寸3分(約13cm)余。深さ2寸3分(約7cm)。素焼きで、黒色に少し赤を帯びていた。高台は無し。(図略)(1)

古文書

古文書4通(1)

  1. 北条氏綱の書簡。犯科人を寺内に逃匿することを、住持が許容してはいけない、と指示する内容(1)
  2. 享禄4年(1531)12月、朝倉右京進の寄附状。その写し(1)
    香林寺開山以来、祖父古播磨代寄進申分、拾貫文西谷畠大窪分、壱貫弐百文南面田同分、施餓鬼免、弐貫四百文織殿小路同分、本尊仏供免、壱貫弐百文城下屋敷一間、古播磨同霊供、以上拾四貫八百文、右前々寄進分、書立進之候、仍如件、辛卯(享禄4・1531)十二月五日、香林寺御納所、朝倉右京[華押]
  3. 永禄2年(1559)11月、北条氏政の寄附状。その写し(1)
    寺内竹木伐取事、棟別赦免之事、山畠共杉崎分、伊波・池田令寄進上、永代不可有相違事、右三ヶ条、於末代不可有相違候、惣而於彼等、横合非分有之者、可申上之状如件、永禄弐年(1559)霜月(11月)晦日[華押]
  4. 同10年(1567)、北条氏康が、沽却(売却)した当時の什物を贖得て(代替品を購入して)寄進したときの書状。その写し(1)
    香林寺什物内永高売捨物、今度尋得註文、唐之磬(きん)一、同鈴一、推鉢二双、[金愈][金赤]花瓶一、同燭台一、同香炉一、茶釜同風呂共一、唐茶壺一、灯明銭六貫六百文、国府津田島之内ニ伏、以上九色、右買求令寄進了、他之違乱有間敷者也、仍状如件、永禄十年丁卯(1567)正月晦日、香林寺、氏康[華押]

その他に文書が2通あった(1)

  1. 文禄3年(1594)4月、大久保七郎右衛門忠世の家僕の令条。その写し(1)
    法度、香林寺門前植置松木并山林竹木伐取事、山中路当放牛馬草木苅取事、右条々於背輩者、見応可被所罪科者也、仍如件、文禄三年(1594)四月三日、後藤弥次兵衛[華押]
  2. 稲葉美濃守正則の家臣らの令条。寺内にて竹木を苅伐すべきでないことを指示したもの。小田原の領主になった後、貞享4年(1687)4月に再びこの指令が出されていた。(1)

境内

1970年当時、境内は928坪(約55.4m四方)、建物は本堂67坪(約14.9m四方)、庫裡49坪(約12.7m四方)(7)

大鐘

本堂の簷(ひさし)の下に掛けてあった。寛文9年(1669)の銘があった(1)

衆寮

弁天社

香林寺 弁天社鎮守とされていた。開山・大樹の母は、江の島弁才天の霊感を得て大樹を生んだといい、そのため住職となってから、寺内に勧請したものと云われていた。(1)

山神社

稲荷社

石室(韶陽窟)

本堂の裏手に石室があった。9尺(約2.73m)四方で、入り口が2つあり、1つは縦5尺(約1.5m)・横3尺(約0.9m)、もう1つは縦4尺(約1.2m)・横2尺(約0.6m)ほどだった。(1)

応永年間(1394-1427)に紹陽和尚が座禅をした旧跡とされており、石室の中に、その石像(像高3尺・約90cm)が安置してあった。紹陽は関本最乗寺の2世といわれていた。(1)

  • 『風土記稿』は、「紹陽」は『洞上諸祖伝』(3)において最乗寺の開山・了庵慧明の嗣法の(弟子の)1人に「韶陽」がいるので、この僧のことだろう、と推測している(1)(2)

織田信長の娘の墓

寺伝によると、天正10年(1582)に織田信長が自害した後、織田(秋田)城介信忠の家臣・多賀内蔵丞が小田原に下向してきた(1)。そのとき、織田信長の娘(或いは、信忠の室=信長の義理の娘)を伴って来ており、その死後は寺域に葬られたといわれていた(1)

『風土記稿』のときには、墓地は所在不明となっていた(1)。本堂にその位牌が安置してあり、「慈眼院華渓宗春大姉、寛永十八年(1641)正月二十九日卒」と刻してあった(1)

土砂災害警戒区域

香林寺の境内の一部を含む板橋沢の区域(41026 板橋沢)は、神奈川県の土砂災害警戒区域(土石流)に指定されている(2012年5月8日 告示第289号)(6)

寺紋

香林寺 結界門(旧本堂鬼瓦)の寺紋(三つ鱗寺紋は三つ鱗(2019年調査)

板橋地蔵堂の公式サイトにある、2002年(平成14)の葺き替え前の山門屋根の寺紋をみると、三つ鱗のほかに、もう1つ別の寺紋が使用されている(5)

リンク

参考資料

  1. 『風土記稿
  2. 『風土記稿』国立公文書館内閣文庫本 請求番号173-0190 第13冊 コマ13
  3. 湛元『日域洞上諸祖伝』国立公文書館内閣文庫本 請求番号192-0482、元禄7年(1694)刊、上巻 コマ54
  4. 『風土記稿』の各村・各寺院の項目
  5. 板橋地蔵堂トップ > 板橋地蔵堂便り > 香林寺の山門の屋根替えをしています、2017年5月27日、arc.
  6. 神奈川県土砂災害情報ポータル 区域図
  7. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、pp.420-421

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