馬車鉄道(ばしゃてつどう、1888年 - 1900年)、小田原馬車鉄道(おだわらばしゃてつどう)
沿革
1887年(明治20)、吉田義方ら7人が出資して、資本金8万5千円で「小田原馬車鉄道株式会社」を設立(1)。神奈川県庁に「馬車鉄道敷設請願書」を提出した(1)。
1888年(明治21)10月、県の許可が下り、同月1日に開業(1)。国府津-小田原-湯本間(12.9km(1))が開通した(2)。所要時間は、宇佐美1994によると、国府津-小田原間が40分、小田原-湯本間が40分(1)、倉田1962によると、国府津-小田原間は6銭で30分、小田原-湯本間は8銭で35分かかった(3)。1台に15人が乗車出来た(3)。
1895年(明治28)当時、年間延べ乗車人数は247千人で、下等車の乗客が90%を占めていた(1)。
1900年(明治33)、小田原馬車鉄道(株)が全線馬車鉄道と同じ路線に小田原電気鉄道を敷設し、馬車鉄道から電気鉄道に転換(馬車鉄道は廃止された)(1)。
参考資料
- 宇佐美1994:宇佐美ミサ子「馬車鉄道から軽便鉄道まで」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、24-25頁
- 「年表」同書148-151頁
- 倉田1962:倉田俊丸『ある城下町の教会 小田原教会七十五年の歩み』日本基督教団、1962、4-5頁