高長寺高長寺(こうちょうじ)、栖龍山は、城山1丁目にある曹洞宗の寺院。本尊は釈迦牟尼仏(6)。1900年(明治33)(1)ないし1903年(明治36)(6)に長吉寺と高源院が合寺して創建された。
明治の文豪・北村透谷の墓、日本最後の仇討ち・浅田兄弟の墓がある(6)。
境内
1970年当時、境内は400坪(約36.4m四方)、建物は本堂48坪(約12.6m四方)、庫裡80坪(約16.3m四方)、位牌堂30坪(約10m四方)、地蔵堂、山門(6)。
地蔵堂
高長寺 地蔵堂境内に地蔵堂がある(4)(6)。『風土記稿』に、合寺前の高源院に地蔵堂があったことがみえる(5)。
北村透谷の墓
境内に、1894年(明治27)5月16日に没した北村透谷の墓がある(2)。透谷死去の翌日、東京の芝公園の自宅でキリスト教式の葬儀が行われ、遺骸は同日、芝・白金台町の瑞聖寺の共葬墓地に葬られた(2.7)。このとき、墓石には碑銘が「透谷北村門太郎墓」と楷書で刻された(2.7)。その後、1954年(昭和29)5月13日に、瑞聖寺から父母の墓のある高長寺に改葬された(2.7)。
また透谷を慕って高長寺に墓を設けた小田切秀雄(2000年・平成12没)夫妻の墓がある(2.1)(2.4)。
1994年5月15日に「透谷没後百年祭」が開催され、その後も(2020年に至るまで)命日の5月16日前後に「透谷祭」が催されていたもよう(2.2)(2.3)(2.4)(2.6)。2021年・2022年はコロナの感染予防のため中止となった(2.6)。
浅田兄弟の墓
1970年当時、境内に「日本最後の仇討ち」で知られる浅田兄弟の墓があった(6)。
駐車場
境内に月極駐車場がある(3)。
寺紋
寺紋は「丸に桐」。内陣の幕に「丸に抱き沢瀉」。(5)
リンク
- 小田原市文化部文化財課「天然記念物 ・高長寺のハクモクレン」小田原市公式サイト、2011年7月7日
- 紋谷幹男「第1722回 高長寺(こうちょうじ)曹洞宗/神奈川県小田原市城山」『お宮、お寺を散歩しよう』2015年8月29日
- 大佗坊「小田原 高長寺から新光明寺へ」『大佗坊の在目在口』2016年10月27日
- マイナーズ銀次郎「#011_高長寺 白木蓮はどこへ?(神奈川県 小田原市)」YouTube、2020年11月10日
- odawarahashibashi「小田原市城山 高長寺のハクモクレン」小田原の端々、2019年10月8日
参考資料
- 高長寺入り口脇の案内板(2019年調査)
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北村透谷の墓関連
- 「透谷/小田切秀雄 — 小田原・高長寺」『カメラ紀行 名作のふるさと』推定2006年5月頃
- 丹沢山ろく夢工房「第16回「透谷祭」を小田原・高長寺で開催」『丹沢山ろく夢工房の本づくり』2009年5月16日、arc.
- 「北村透谷を偲ぶ 5月15日 高長寺」タウンニュース 小田原版、2015年5月9日
- 「透谷を知り、学ぶ 5月16日 高長寺」タウンニュース 小田原・箱根・湯河原・真鶴版、2017年5月6日
- seseppo「小田原・高長寺 北村透谷・小田切英雄の墓」『見る 読む 歩く』2020年9月5日
- 「透谷祭、今年も中止に」タウンニュース 小田原・箱根・湯河原・真鶴版、2022年4月23日
- 石井富之助「1 北村透谷」神奈川県立図書館『神奈川県の歴史 県下の文学編 上』〈神奈川県立図書館シリーズ8〉神奈川県立図書館、1963、68-72頁
- 「高長寺月極駐車場」akippa、更新時期不明
- 2019年調査
- 『風土記稿』谷津村 高源院
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.422