本多信親邸宅跡(ほんだのぶちかていたくあと)は、西久保字平の小高い所にあったといわれる本多信親の邸宅跡。その西南に「本多窪」、南に「桜馬場」などの地名が残っていた。(1)

信親は北条氏政に仕えた曽我郷の領主で、武田信玄との戦いで戦功があったので、西久保の属していた黒岩郷の領知を与えられたといわれている。(1)

その子・本多節親は信親の領知を相続し、曽我・中村・黒岩の三郷に領知があった。(1)(2)

参考資料

  1. 河田羆『大磯誌』附録 国府村 本多信親邸址、富山房、1907
  2. 風土記稿 曽我里 上曽我村の項