殉国者慰霊碑(切原保育園裏山) について知っていることをぜひ教えてください 碑文 『慰霊碑建設趣意』 昭和六年満州事変勃発以来、戦争は次第に拡大し、ついに第二次世界大戦に突入した。この間軍国主義指導者の思い上がりと幾多の誤りの結果、昭和二十年八月痛恨の敗戦を迎えたのであった。この十五年の長きに亘り国民は己の意志によって戦禍を免れる術は持たなかった。 わが郷土 切原の青年達も次々と召集され、広漠たる大陸に、あるいは数千キロの波濤の彼方 太平洋各地に勇戦敢闘し、あたら有為の生命を国に捧げた者が実に百十余名の多きに達した。 これらの若者は、青春の夢も理想も親愛なる親兄弟も最愛なる妻子も友人も 一切を捨て民族の存続と国家の繁栄を願って死地に赴いたのであった。 終戦以来三十三年、今やわが国は経済大国ち言われるまでに発展し、世は平和と繁栄を謳歌している。この平和は多数の英霊の犠牲の上に築かれたものであることを思う時、今もって涙なきを得ない。 青年の霊を慰むると共に 長くその清純なる愛国の至情を伝え、子々孫々に至るまで永遠の平和を願ってこの碑を建設する。 昭和五十三年九月 Googlemap Frontpageに戻る
殉国者慰霊碑(切原保育園裏山)