小林多喜二文学碑
   小樽の街と人々を愛する思いを連ねた美しい言葉


小林多喜二文学碑 1965年 ブロンズ 登別硬石

 1965年10月9日、小樽ゆかりの作家小林多喜二文学碑の除幕式が、小樽市内を一望する旭展望台で行われました。この碑は、作家と地元の人、旧友が発起人代表となり建設期成会がつくられ、2年間の地道な募金活動を経て実現したものです。

 文学碑建設にあたり、思想的立場によって様々な軋轢(あつれき)がありました。しかし、多喜二の政治的イデオロギーを越えて、志半ばで若くして亡くなった一人の文学者としての存在を後世に遺したいという人々の強い思いが完成へと導きました。

 制作依頼を受けた本郷 新は、この年の夏に完成した小樽・春香山のアトリエでの初仕事として、これまでにない文学碑にしようと精力的に制作に取り組みました。

 制作構想について本郷は、「多喜二は働く人々の幸福を求めて立ち、それゆえに命を奪われた文学者であるから、私はこの文学碑の中にひ とりの働く若者の頭像を中心的な像としてはめ込むこととした。そうすることで、この文学碑を他の文学碑と区別する手がかりとした。そして多喜二の肖像は造 型的には二義的なものとして扱った。(中略)多喜二がその郷里小樽の街と人々を愛する思いを連ねた美しい言葉を、大きく壁にはめこむこととした」と語って います。

高さ60cm働く人のたくましい頭像 完成した作品は、高さ4.5メートル、幅6メートル。アズキ、グレー、赤など彩りの違う登別硬石を積み重ね、本を左右に広げたような 形をしています。右側は、多喜二の肖像レリーフ、碑銘、獄中の多喜二が友人に宛てた書簡の一節をとった碑文が刻まれています。左側は、大きく窓が開けられ 高さ60センチの「働く人のたくましい頭像」がはめ込まれました。上部には北極星と、北斗七星をかたどった四角い穴をあけ、光り輝くように工夫されていま す。裏面には、多喜二の略歴と代表作品が記されました。一般的には多喜二の肖像を中央に据えるところを、あえて避けた異色の文学碑です。

 このような他に例を見ない文学碑ができたのは、期成会が本郷の自由な発想を認めてくれたからです。本郷は、これを得難い喜びであるとして、造形的な注文をつけなかった期成会の姿勢に感謝していました。

 文学碑は、天狗山を背景に小樽の港を見下ろすように建っています。

(2005年7月1日 札幌彫刻美術館 学芸員 井上みどり)


小樽旭展望台へのアクセス
小樽駅からタクシー約10分(1,000円前後)若しくは徒歩。
※冬期は積雪のため行くことができません。