語りつぐということ について知っていることをぜひ教えてください

 

歴史は沈黙して語らない。

寒さを飢えを語らない。

森の声も海の藻草の声も。まして

吹雪の闇に吸われた人や地底の人々の声は。

だが、私達のある者は、その森の声を聞き、

ある者は父母の昔語りにその海の声を聞くことができた。

きき、知っているならば、それは語りつがねばならぬ。

 風雪の群像は、原始の大地に音もなく消えた一世紀北海道開拓者の

涙と呻きと歓喜の像である。

 

                 1970年8月 「風雪の群像」をつくる道民の会

 

旭川の常盤公園にある「風雪の群像」(本郷新 作)。その台座にはこのような言葉が記されていた。

とても大事なことが書いてあると思えた。歴史を知ったり語ったりするのは生きる者の役目なのだと。

本郷氏、会の方々に敬意を表したい。


わざわざ観にいった甲斐がありました。 土曜夜にアイヌの話を聞いていたのもつながりました。 座っている爺さんが象徴的で、虐げられている感じはありませんでした。あの像から差別的なものは贔屓目にみてもない気がするのですが、それでもあのような事件や顛末があったことは人の歴史として必然だったのでしょうか。 この時期、像の周りは腰までうまる雪で、それを掻き分けていって、公園に誰もいない中、ゆっくり見ていました。 実はなぜか携帯の電源が像の前で突然つかなくなり、写真は撮れていません。後から何事もなく電源はついたんですけどね。不思議なことが起こりました。

この記事を表した小瀬木さんの感想を追記


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