大通高校に入学してから歩んできた4年間

4年次午前部 中田 詩絵莉

きっかけ

 中学時代、高校なんてどこも同じだと思っていました。制服を着て、決められた内容を学んで、規則に従うなら学力だけを考慮して進学先を選ぼうとしていたのです。
しかし、ある日母が「友達の娘ちゃんが面白い学校に通っているんだけど」と大通高校のホームページを私に見せました。
今までの考えを覆す「社会に近い、開かれた学校」というキャッチコピーに胸が高鳴ったのを覚えています。
当時中学校でお昼の放送を担当していた私はメディア局のラジオ活動にも興味を持ち、絶対に大通高校に入学しようと決意しました。

 

メディア局へ

 作文と面接による自己推薦入試を受験し、、第一希望の午前部に合格しました。憧れの大通高校生です。
入学後の新入生歓迎会でメディア局の紹介動画や裏方をしている先輩方を見て感動し、メディア局に入りました。

 

ラジオ活動

 私の高校生活を記す上で欠かせないのはFMラジオによる学校広報活動です。
入局直後の2012年5月からラジオ番組「大通つうしん」に参加しました。8月にはパーソナリティに就任しましたが、10月で番組が終了。それまでお世話になっていた豊平区にあるFMアップルさんから東区のさっぽろ村ラジオさんにお引越ししました。
メンバーも新たに再出発したのが同じ年の12月。名前は以前の「大通つうしん」を引き継ぎつつもそれぞれの十人十色、色とりどりな個性を大切にしようと「IRODORI~大通つうしん~」に決まりました。
 2年次になると後輩ができ、先輩方が引退したことで自分たちが中心の番組に。外部の方をゲストに呼んだり、スキルを上げるための強化放送を行うなど新しい取り組みを行いました。
 3年次ではSTVラジオさんに見学に行きプロの技術を学んだり、ゲストを呼ぶ回数を増やすことで充実した放送を目指しました。放送開始から100回及び2周年を迎えたのもこの頃です。
 4年次になると本格的に後輩に仕事を引き継ぎはじめ、番組内で紹介するコーナーも増えました。7月になり引退するまで出演回数は約130回、大通つうしんから数えれば3年以上をラジオと共に過ごしたことになります。
この間毎週2回の打ち合わせと放送を行ってきました。IRODORI~大通つうしん~が始まってからは土曜日の生放送となり、休日返上の活動に。原稿を夜遅くまで練ったり、ネタ探しに奔走することもしばしばで、進行も上手くいかず辞めたいと思った時期もありました。
しかし、ラジオを聴いて大通高校を知ったという人や、高校生がラジオ制作をしているなんてすごい!と声を掛けていただく度に続けていて良かったと嬉しく感じました。
また、自分の考えを人に伝えることや筋道を立てて話すことができるようになり、今ではラジオで積んできた経験が自信になっています。

 

やりたいこととやらなくてはいけないこと

 前述したメディア局の活動私が高校に進学してどうしてもやりたかったことでした。
では、やらなくてはいけないこととは何でしょうか。それはアルバイトです。
私の家は母子家庭で、母は定職に就いていません。そのため収入は安定しておらず、父から養育費を貰っても家計は赤字でした。
 大通高校のっ魅力の1つに働きながら学べるということが挙げられます。そこで私は定時制・単位制・3部制を上手く利用して時間割を組むことで全日制の学校にはない時間の余裕を作り出し、アルバイトに励みました。
アルバイトは収入を得られるほか、社会の仕組みについて学んだり、コミュニケーション能力を養ったりすることができます。
勉強や友達と遊ぶことも大事ですが、高校生のうちから働くこともいい経験です。
我が家は現在も決して裕福ではありませんが以前より心に余裕ができ、自分のしたいことにも打ち込めています。

 

進路について

 私は以前、洋菓子職人になりたいと思っており、インターンシップでケーキ屋さんに行ったり、いくつかの学校のオープンキャンパスに通ったりと慎重に志望校を決めました。
しかし、いざプロになる道を目前にすると何か違うなと感じたのです。
元々1つのことを極めるよりも広く浅く様々なことに挑戦する方が多かった私は、3年で予定していた卒業を4年に変更して自分の進む道について悩むことにしました。
家庭のことを考えて就職を視野に入れたこともあります。ですが進学してもっと視野を広げたいという気持ちが勝りました。
そして改めて志望校が決まり、学校からの推薦を得て試験に無事合格。4月からは大通高校で学んだことを胸に短大生になります。