1884(明治17)年、官営幌内鉄道の「岩見沢フラッグステーション」として岩見沢駅は開業。
石狩平野と勇払原野は日本国内では珍しい、トンネルや峠越えをしないで、日本海と太平洋を結ぶ「陸峡」。古く石狩川は太平洋に注いでいたという説もある。
幌内の石炭を国内に供給する港として、小樽と室蘭が比較され、当初は、幌内と岩見沢界隈を結び、石狩川を舟運する方法で、鉄道建設コストを抑える方法が選ばれた。その後、石狩川の特性で断念。凍結期間の長さと泥炭地盤で川岸の港建設を困難と判断、舟運が断念された。そのため、計画は変更され、鉄道は札幌を通り、小樽港の手宮まで延長された。その後、幾春別、歌志内、夕張、万字などの相次ぐ開山による石炭の増産で、室蘭を活用することになり、岩見沢駅はその集散基点として発展した。
地図を見ると、岩見沢は、その北にある炭田から産出した石炭を、小樽と室蘭に切り分けて出荷する位置にあるり、石狩平野の中心で石狩川左岸の安定した地盤の上にあり、産炭地が全て石狩川の右岸側にあるのが分かる。鉄道の集散は、石狩平野の農産物の集散を招いた。土地の改良が進み、岩見沢での穀物の作付け量、生産量は全国の最上位に導びかれた。