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春の鰊


 「こうやってさ、丁寧に小骨をとってさあ」
 ほとんど食事の面倒など見てもらった記憶はない。でも、ニシンを食べると父が小骨をとってくれたのを思い出す。ニシンというと毎度、その真剣な顔が浮かぶ。どうやら父は私の面倒を見たかったのではなく、うまい食べ方を伝授したかったようだ。
  「にしんご飯」。つまり、小骨をとったニシンの塩焼きはもう身がばらばら。炊き立てのご飯に大根おろし、醤油をかけてを茶碗のなかで混ぜるのは彼の一押し「料理」なのだ。これが妙に旨い。

 いつしか我が家の食卓にニシンが上ることはなくなっていた。関西の友人に訊くと必ず「身欠き鰊」がニシンである。昆布巻きの中に入っていたり、蕎麦の上にのっていたり。冷凍と輸送の発達し始めた頃にニシンは獲れなくなっていたので、今でも生のニシンが南の大都会で食べられることは少ないようだ。

 1999年の5月、東京の仕事をやめて札幌に戻って間もないとき、40数年ぶりに群来(くき)のニュースが飛び込 む。留萌の礼受浜(レウケ:アイヌ語起源の地名で「曲がっているところ」の意)が真っ白になっていた。「棒をたてるとそこにメスが卵を産み付けるからたお れなくなったんだよ」。子供のころ社会科の授業で教わったニシンの産卵、オスの一斉の射精で海が白くなる。演歌の歌詞で聞いたこともあった。魚を呼ぶには 森を育てることだとがんばった人たちの顔も浮かんだ。

 

 「板さん、もうニシン入ったの」


 「はい。稚内の方から。塩焼きでいかがですか」

 

 贅沢になったもので、料理人が目の前で焼いてくれるニシンはさわやかで、旨かった。酒に合う。面倒だから小骨ごと食 べてしまう。卵は焼いて黄色く膨らみ、ほくほくの焼き栗を食べているようだ。2月の終わりから5月にかけてが春のニシンの時季とされている。この時期のニシンは ビタミンA、B12、Dに富む。もちろんお約束の多価不飽和脂肪酸も豊富なので日が長くなっても気温の低い日々、風邪のお守りだ。

 兄弟姉妹が多く戦後の食糧難に成長期をすごした父は「ニシンは最高のご馳走だった」と言っていた。光の春、2月を終える頃、うれしそうにニシンの小骨をむしる横顔を毎年思い出す。

 今年の5月もニシンは群来するだろうか。期待して来ないとつらいけど、桜よりも待ち遠しい北海道の特権の一つだ。

(2003年2月28日・杉山幹夫)