札幌の雪と水と街の形

 

 札幌の街の中心は、札幌市役所、札幌駅があるあたりが、扇端(せんたん)で標高20メートル、真駒内の豊平川さけ科学館が標高80メートル。この間の直線距離が8キロメートル。緩やかで、20平方キロメートルの広大な扇状地です。

 札幌の都心部はもともと、豊平川が定山渓のほうから土砂を運んできて6,000年前ぐらいまでに、堆積した地形ですので、護岸が進んでいなかった明治時代は、頻繁に水害に見舞われていたようです。とはいえ、川筋からはなれたところは、水のはけがよく、伏流水が豊富。井戸が浅くても良質の水が取れるので、居住しやすく、果樹栽培を含む畑作に優れた土地として利用されました。

Bird’s eye view of Sapporo City, 1928
from Sapporo rekishi chizu, provided by the Sapporo City Cultural Archives Office

 

 

 札幌駅や大通公園のある扇端部分は、扇状地が終わり、氾濫原につながるところ、石狩平野につながるところです。この辺りで、先住者のアイヌたちが「メム」と呼んだ湧水が至るところにありました。現在も北海道庁の池、北海道知事公館の池、北海道大学植物園の池、北大構内のサクシュ琴似川、サッポロビールや雪印乳業の工場立地がその名残を私たちに伝えてくれます。

 

 札幌の地酒、千歳鶴の酒蔵、「丹頂蔵」の直下、地下150メートルの井戸からとる仕込み水。時間をかけて岩盤の下にしみ込んだ水のミネラルバランスは絶妙で「この水がある限り、この土地を離れない」といいます。札幌の山に降った雪が、地中を流れ、100年以上かけて、この水になるのだそうです。

 

 アイヌたちは、メムの廻りにコタン=集落をもちました。この湧水を目指して大量のサケが遡ってきたのも容易に想像できます。サケはアイヌの言葉でカムイチエプ=神の魚と呼ばれています。現在もサケは豊平川で卵を産んでいます。産卵場所は豊平川の東橋(札幌駅と同じ標高)から幌平橋(大通公園、丹頂蔵、すすきの、中島公園の上流)まで。まさに200万人に届く街の都心です。鮭も人間もこの水を利用してきたのですね。

 

 大通公園に象徴的に存在する三人の踊り子の像が「泉の像」と名付けられたことも「メム=湧水」をイメージしたものかもしれません。札幌出身の彫刻家、本郷新(ほんごう しん 1905年~1980年)本人がその言葉のなかで「踊り子が先にあったのではなく、地下から天空を支え、雲や風と遊ばせたかった。雨や雪を呼びたかった」と言っています。

 

 アイヌ語地名研究家の山田秀三(やまだひでぞう 1899年~1992年 )によると、豊平川のアイヌ名がサッポロペッで(サッ=乾いた ポロ=大きな ペッ=川)であり、扇状地を流れる川の特徴、を表しているようです。札幌周辺には沢山の川があり、その川の中で一番大きな川が「サッポロペッ」。「大きな」という名前はそこからついたようです。では、「乾いた」はどうでしょう。扇状地面を流れる川の特徴として、分水して水量が少ないとか、夏の雨の振らない時期、極端に水が減り、川底の石がごろごろ見えるからといわれています。もしくは、乾いた川跡の沢山ある扇状地そのものをさした言葉なのかとも想像できます。

 

(2007年11月1日・杉山幹夫)