札幌水郷化計画 について知っていることをぜひ教えてください

 

かつて、道庁の池も、雪印やサッポロビールの工場もそこから湧いた水、そこから川が始まる泉を持っていた。アイヌはこの湧き水ろ利用して集落を作っていた。開拓使の構想は掘り割りを巡らせていた。大友堀は創成川として残っている。鐵道が敷かれるのがもうすこし遅かったら、札幌に運河が発達していたかもしれない。

 

port より

佐賀市周辺、有明海と筑後川開拓使、現道庁赤煉瓦庁舎を置いたのは、コツネイというアイヌのコタンのあった場所で、豊平川の伏流水が湧き、サクシュコトニ川の源となって、琴似川に流れ込んでいた。

開拓使の周りには掘り割りが巡らされる計画だった。アイヌたちがメムと呼んだこの湧き水から流れ出した川は現在の植物園、伊藤義郎邸、清華亭、北海道大学構内の湧き水をつないでいる。アイヌ達は現在の琴似に移動した。コツネイは琴似の地名の由来とされる。

 


このような湧き水は豊平川扇状地の扇端にあたる現在のJR北海道函館本線周辺に多数存在していた。ここからいくつもの自然河川が豊平川や石狩川、そして、 直接石狩湾へと向かい、アイヌ達は狩猟や交易の水路として活用していたものと考えられる。後に、官営のビール工場や雪印乳業などもこの水を利用して創業す る。