氷点/三浦綾子 について知っていることをぜひ教えてください

氷点

 

―人の心が凍りはじめる起点―

 

現実に、私は人を殺したことはありません。しかし法に触れる罪こそ犯しませんでしたが、考えてみますと、父が殺人を犯したということは、私にもその可能性があることなのでした。……..

自分さえ正しければ、私はたとえ貧しかろうと、人に悪口を言われようと、意地悪くいじめられようと、胸を張って生きていける強い人間でした。そんなことで損なわれることのない人間でした。何故なら、それは自分のソトのことですから。しかし、自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。…..

自分の中に一滴の悪も見たくなかった生意気な私は、罪ある者であるという事実に耐えて生きてはいけなくなったのです。

(氷点 陽子の三通の遺書より抜粋)

 

物心ついた時には、まるで絹にでも包むように愛情を注いてくれていた母が、ある日突然鬼になった。ここまで打ち付けても起き上がってくるつもりなの?と言わんばかりの悪意を示す。首を絞めて殺しかける。太陽のように明るくく邪悪な心を持たぬ娘の心に深い傷をつける。まるで生甲斐でもあるかのように執拗に繰り返す。娘陽子はそれらの仕打ちは自分が実の子でないからであろうという事を悟が、それでも一つの汚れも知らず素直に育つ。それは、全て自分以外の心に宿っている悪がなしているものであると思えていたからだ。何事にも動じない娘を憎む母は、夏枝が最も傷つく環境、夏枝が初めて異性として思いを募らせた相手の前で真相を告げることを選ぶのである。

 

母の豹変には、信じがたい理由があった。

 

だまっていてもじんじんと汗ばむ夏の日、辻口病院の眼科医村井が、医院長の妻夏枝を訪ねたことから罪が生まれる。夏枝は、誰しもが惹かれずにいられないほどの美貌と品位を備えた女で、村井もまたその魔力に釘付けとなっていた。自分の美しさに酔いしれている夏枝にとっては、村井の存在はその魅力を証明するものであり、村井と過ごす時間は3歳の愛娘を外へ追いやってまでも得たいものであった。無論、村井に対しては愛情を持つ類のものではなく、ただ単に美しい自分をさらに美しく飾るアクセサリーのようなたぐい。村井の感情を弄び胸を躍らせていただけのことである。妻であり、母であるということよりも、女である時間を楽しんでいたひととき、外に追いやった3歳の娘が見ず知らずの男に首を絞められて殺されてしまう。夏枝の夫は、3歳になる娘が殺された原因が、自分を裏切った妻と村井の情事によるものという事を知り、強烈なる嫉妬が心を支配するようになる。何も知らずにいる妻に犯人の子どもを育てさせるということで、自分の行き場のない復讐心を満足させようとしたのだ。嫉妬心や復讐心は、その標的である人間にのみ降りかかるものではなく、何よりも、我が身を啄ばみ、破滅させていくということをその後の永い時間の中で味わっていく。自分の犯した罪からは、逃れられないものだからである。

自分のソトと内側の違い

自分のソトで起こった悪事に捉われる事で、自分の中で悪意を生み育んでしまったのだ。人は、他からは逃れられても、自分からは逃れることは出来ないものであろう。氷点を自分の中に迎えるのは、自分の中に悪の可能性を見つけ出してしまうことから来るという。自分の内側と、ソトとの区別をもっと理解するべきなのだろう。陽子の生き方に教わった事である。

「汝の敵を愛せよ」この聖書の言葉がこの作品には幾度となく繰り返されている。主人公の陽子は、まるで神から授けられたかのようにこの言葉をそのままに生きているような娘だ。私の勝手な思い込みではあるが、三浦綾子氏は神の子のような善良な陽子にさえ人間である以上罪を持つものであるということを伝えたかったのではないか。「氷点」を乗り越えて、生きて行くということが人間として出来る最良の選択なのだというように受け止められるのである。