江別と札幌 について知っていることをぜひ教えてください

北海道庁の赤いレンガは江別市野幌での生産。酪農大学は札幌も含めて北海道の酪農の発展に大きく帰依してきた。風が強く、植物が雨にぬれてもすぐに乾くので、農薬を散布しなくても、病害虫が作物につかない。丘ではうまい野菜に乳牛、平地では米、麦が取れる土地だ。

江別市役所のプロフィールにはこう書かれている。
宮城県涌谷領からやってきた21戸76人の農民が最初の「江別市民」でした。 明治11年(1878年)には江別村が誕生、その後、各地から屯田兵が入地し、計画的な開拓がすすめられました。

アイヌ語由来の地名である。ユペ・オッ(ラテン文字表記:yupe-ot チョウザメのいる川)[1]、イェ・ペッ(ye-pet 膿汁の川、膿のように濁った川)[2]、イ・プッ(i-put その口、大事な入り口)[3]、ユ・ペッ(yu-pet 温泉の川、硫黄の流れ込む川)、ユペ・オッ(yupe-ot 温泉の水が流れ込む川、同じく硫黄に関連した解釈)、イペ・オッ(ipe-ot 魚のいる川)などの諸説がある。幕末にこの地を訪れた松浦武四郎は、エペッケ(epetke)でウサギの顔のように三つに分かれている所の意とする民間語源を記録している[4][5]。アイヌ語では通常ウサギのことをイセポ(isepo)と呼ぶが、これを畑で用いるとウサギが作物を荒らすとされるため、畑では忌み言葉としてエペッケが用いられる。原義はエ・ペッケ(e-petke)で「顔が裂けている」の意[6]。
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江別の漢字に「江」当てたのはだれなのか、これもまた川を意味することば。

松浦武四郎が札幌を探索したとき、江別の対雁に豊平川は注いでいた。武四郎はここを京都伏見に例える。桂川、鴨川、高瀬川、淀川(宇治川)の合流する伏見は京都にとって、舟運の要衝。石狩河口は、大坂にたとえられた。

 

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伏見と京都

伏見はたくさんの河川を集めて、京都と大坂を結ぶ流通の起点

伏見に集まる河川桂川淀川鴨川古川東高瀬川宇治川派流志津川西羽束師川濠川高川七瀬川山科川、山科音羽川千丈川西羽束師川支川堂ノ川合場川互間堀川

江別もまた、北海道最大の河川の集積

江別に集まる河川石狩川豊平川夕張川千歳川野津幌川厚別川世田豊平川幌向川早苗別川吉井川屯田川篠津川小野津幌川熊の沢川旧幌向川麻別川元野幌川豊幌川筋違川東二号川早苗別川放水路

 

赤丸は対雁赤丸は伏見