16歳で井上鐵工所にお世話になりました。学校から帰ったら10時。父親を10歳の時に亡くしまして。三人下に兄弟いたので。父も鐵にまつわる仕事だっので、井上の応募を見てご縁を感じました。学校にもいけるし、市内だしと。日曜だけが休み。朝8時から仕事で5時まで働いて。ギリギリに飛び出して、電車に乗りましたね。会社から残業する人用のパンをもらってかじりながら5時45分に教室に滑り込んで4年間。学校の勉強会社で帳簿付けて、貸方、借方って会社の伝票で覚えました。石山、南20南条に啓北商業があったんです。先生がたも昼間北大で、夜は啓北商業って昼夜働かれていました。もう眠くて、眠くて試験勉強なんかできませんでしたね。会社で昼休みに宿題やってたり。


でもね、学校でも、会社でも仲間と過ごすのが本当に楽しかった。強さんは厳しい人で、蹄鉄をつくる職人さん。50代で亡くなった後は章さんと9人の兄弟で協力して会社を運営していました。強さんの奥さん「シゲルおばあちゃん」は優しくてふっくらしたした方で、織工さんをかわいがっていらっしゃいました。家族的な会社で、よくお手伝いしたり面倒見ていただいたりしてました。章さんは毎朝工場を歩いてしっかりご覧になる方でした。章さんの奥様キミさんは厳いところがあって、とても会社を大事にされていました。「職人は家族」って感がえ方の人たちでした。今も、収穫祭やるんです。社員全員で芋掘りして楽しんですよ。

力さんとは、彼の高校の夏休み、冬休みアルバイトで働きに来るので知り合いました。私と同級生。井上兄弟の一番下で、お兄さんの息子になった。かっこよかったけど、橋幸夫に似ていたの。角刈りで。彼は大阪で働くようになって、結婚が決まったときは大阪に行く準備をしていました。だから、後を継ぐことになるとは思ってもみなかったです。章さんが力さんだけではなくて、私も養子にされて、井上の株を分散せずにされたので、これからも会社を守るための立場を貫こうと思います。

井上鐵工の西村社長と井上鐵骨工業の猪野社長のお二人が、しっかり経営してくださっていて、真面目で働き者の社員支えられた会社です。これからもよろしくお願いします。