松浦武四郎と札幌 について知っていることをぜひ教えてください

島義勇より12年先に、石狩川から当時のツイシカリ川を探索

武四郎は1857(安政4)年、島義勇より12年先に、石狩川から当時のツイシカリ川(当時の豊平川)を十数キロ遡った札幌を観て、札幌を京都に見立て、石狩河口港を大坂(現在の大阪)、そして、豊平川が石狩川に合流するツイシカリ(津石狩:現在の対雁)を伏見に見立てます。伏見は京都の南、現在の京都市伏見区で洛中からの運河、高瀬川が宇治川(琵琶湖から流れてくる淀川のこの地域での名前)に合流することに例ています。当時の豊平川は対雁(現在の王子製紙の工場の近く)で石狩川に合流していたようです。地図は武四郎の船での探索のルートを想定しました。

厚別川新水路【札幌開発建設部】治水100年
地図のを作る時には、上記を参考に旧豊平川とその最下流だった世田豊平川をつないで、当時の豊平川の流路を再現してみました。この世田豊平川がツイシカリ川であっただろうと想定しています。

札幌市公文書館講演記録
札幌文書館の講演記録に松浦武四郎の引用がある。(現在はリンクが切れてしまいました)

http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/gouda1.html

で合田一道さんが引用されています


 ツイシカリ川(豊平川)三里を上り札幌の辺りぞ大府を置くの地なるべし…此の札幌に府を置玉はば、石狩は不日にして大坂の繁盛を得べく、十里遡り津石狩(江別市対雁)は伏見に等しき地となり…


千歳川と美々川を結ぶ水の旅はあったのか

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松浦竹四郎は空知川から十勝川をたどったのか

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あつまれ!北海道の学芸員

リーレーコラムで武四郎の旅を解明しています。とても楽しい武四郎の旅のルートが図解されていますので、ご覧ください。

http://www.hk-curators.jp/archives/675

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安政4年、武四郎はそれまで主だった海岸線の探索から、天塩川、石狩低地、石狩川上流に探検の視点を移しています。その翌年はは全道の川を遡り内陸の探査に力が入ったようです。

武四郎はこの旅で、石狩川を遡り、十勝や北見への道を実感していると考えられます。
 

札幌と紋別を結ぶ川の道

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紋別御用所

例えば、箱館奉行所の出先である紋別御用所に残る古文書では安政2年のソウヤ場所の取引や集落ごとに男女が何人住んでいるといった戸籍に類する記述が残っています。松前藩の支配、松前奉行所時代、箱館奉行所時代、すでに武四郎の歩いた道には先人がいたことがわかります。
紋別市のホームページには「紋別市はオホーツク海沿岸の数少ない天然の良港として、貞享年間(1684年~1687年)に松前藩がその直領としていた宗谷場所から斜里場所へ至るオホーツク海沿岸の寄港地として利用したのが始まりといわれています」とあります。

 

請求記号:簿書 1 資料名:宗谷場所御引渡目録 安政二年