サッポロテイネ
1866年慶応2年大友堀
1882(明治15)年官営幌内鉄道開業
1886年明治19年新川開削の開始
1892年(明治25年)室蘭本線開業(室蘭、岩見沢間)
1926年(大正15年、昭和元年)千歳線の沼ノ端駅と苗穂駅間が開通
2通の手紙と小説札幌 について知っていることをぜひ教えてください 削ぎ落とした11か月と2通の手紙 啄木の友人に宛てての2通の手紙がしたためられたのは、11か月に及ぶ北海道放浪を終えて、再度上京し、苦しい貧困を友人に支援してもらいながら、新聞社で働くことで、何とか生活の安定を得始めた頃のものである。歌人としての地位を確立したと言われる「一握の砂」を始めとする多くの作品がようやく世の中に認められた時期でもある。普通ならば、有頂天となり、自分を大きく見失う機会でもある。啄木は、例に習わず余分な虚栄心や慢心をそぎ落とし冷静沈着さを備えた。自分は特別に優れているものではない。歌は、自分の心を確認するために詠んでいる。それよりも今の環境で働くことで社会の改革に努める事が重要だと。そこには、住職の父のもとで育てられた素のようなものさえ感ずる。そのような意識的改革が起こったのは、手紙にあるように1907年から1908年。丁度北海道放浪の時期に重なるのである。故郷盛岡での啄木が原因となる一家貧窮を脱するために新天地である函館へ。函館の大火により、札幌、小樽、釧路、そして再度の上京。北海道で出会った人々や自然。新天地に夢を抱きながらも放浪する状況に追われる日々。強く求めながらも抜け出せない貧困。11か月という目まぐるしい時の中で、彼はとことん自身と向き合い、自分を取り戻したのかもしれない。周りに評価されるのが重要なのではなく、自分自身が評価できる生き方をすべきなのだと。書いても評価されなかったことで遠のいていた小説の執筆である印象を受けたが、同じ時期に書かれたこの「札幌」という作品の存在によって、周りの評価が重要なものではないのだとまるで証明しているような気がするのである。(専修大学社会科学研究所月報NO540を参考) 何時かは行つて住んで見たい... 小説「札幌」 半生を放浪の間に送つて来た私には、折にふれてしみ/″\思出される土地ところの多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地ところは無い。あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風擬まがひの家屋うちの離れ/″\に列んだ―どんな大きい建物も見涯みはてのつかぬ大空に圧しつけられてゐる様な、石狩平原の中央ただなかの都の光景ありさまは、やゝもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引ひきつける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい様に思ふ。 (啄木による小説「札幌」冒頭部より) 「2017/10/18 環」
2通の手紙と小説札幌