大新田(おおしんでん)は、江戸初期の干拓によって作られた土地で、現在の西九州道佐々IC付近に広がる水田を言う。
この干拓工事は平戸藩の通達によって、家老山瀬新五兵衛の立会いのもと寛文四年(1664年)に小浦の赤崎から始まったが、工事は台風や洪水のため堤防がたびたび破壊される難工事であった。このため人柱ならぬ犬柱を埋めて海神の怒りを鎮めるなど、あらゆる苦心の末、延宝三年(1675年)10月に、11年に及ぶ長い歳月をかけてようやく完成した。翌年よりこの大新田で米作りが開始され、平戸藩を支える大穀倉地帯となった。なお、犬柱は「庚申塚」となって今も佐々中学校裏に存在する。