ここでいう庚申塚とは、佐々中学校の裏にある石碑を言う。

そも、庚申塚とは何か?中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで、庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。庚申講とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日(60日に1回ある)の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。

でもこの塚は単なる庚申塚ではなく、犬塚と言われている。今の佐々インターの一帯は江戸期に完成した干拓地である。それ以前は干潟であったと想像される。江戸初期から干拓工事が続けられていたが、最後の汐留めの部分が大変な難工事でなかなか完成しなかった。龍神様の怒りを鎮めないと、と考えた当時の人々は最初「人柱」を考えたようだが、さすがに人を生き埋めにするわけにはいかず、やむなく三十九匹の犬を「犬柱」として埋め、工事の完成を見たらしい。

佐々町郷土誌には、この汐留(今の沖田のポンプ場あたりではないかしら??)の見える現在の地に、犬たちの供養のため作られたとあるが、汐留にあったものが移設されたのかもしれない。それがいつの間にか庚申塚となって・・・ちょっと謎めいた塔ではある。