2016年12月15日
佐々町職員の保健師江田さんが進める「いきいき百歳体操」。これを担うのは地元に根付いた世話役、民生員たちで、江田さんはそのひとたちの手足のように動きながら、住民の健康の担い手を増やしていった。

 



いきいき百歳体操

http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/130/ikiiki.html

いきいき百歳体操は,米国国立老化研究所が推奨する運動プログラムを参考に,平成14年に高知市が開発した重りを使った筋力運動の体操です。
いきいき百歳体操は,イスに腰をかけ,準備体操,筋力運動,整理体操の3つの運動を行います。
筋力運動では,0kgから2.2kgまで10段階に調節可能な重りを手首や足首に巻きつけ,ゆっくりと手足を動かしていきます。

開始当初,市内2箇所だったいきいき百歳体操会場は300箇所(平成26年7月1日時点)を越え,市外・県外を含めると1,500箇所(平成24年5月末時点)を越える体操会場で,いきいき百歳体操が行われています。(高知市)
 


長崎県佐々町、土手向地区で、いきいき百歳体操に取り組む民生委員がいた

この体操を始めてから「おしっこのもらさんで済むとよ」というお婆ちゃんが現れたり、記憶力が良くなったという話が出てくるという。林さんは、包括ケアセンター江田さんに言われて、新任の民生委員が続ける。

「モデル地区になってくれって江田さんに言われたのが始まり。7月、私がちょうど入ったとき」に江田さんの勧めてくれたので、百歳体操を始めたという。「包括ケアセンターが始めていて、それを広げようという江田さんの試みで、こっちでも。まずはとにかくしてみましょうと」

これより悪くなりたくないので一生懸命やっている。なんか最近の研究だと運動すると脳の機能が発達するっていうのだが「それは実感する」という。「家にいたら黙ってテレビばかり見てるからそれが悪い」と。

江田さんの力が強いんですよ

「江田さんの力が強いんですよ」と民生委員の林さんは言う。

政府広報では「民生委員法に基づいて厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員です。社会福祉の増進のために、地域住民の立場から生活や福祉全般に関する相談・援助活動を行っており、創設から今年で100年の歴史を持つ制度です」と書かれている民生委員。一人で何役もこなす結構大変なお仕事だ。

私も民生委員をしていて、2町内会を受け持っているとです。多いところは1町会で2人いるところも。人口割り。200人程度に一人。

林さんは言う「それこそ民生児童委員となっているから、子供から大人までなんです。実際は高齢者がほとんどですけどね。小さい子は親や保育所とかあるし。『この子は虐待ありそうだよ』という報告があっても私たちは何もできないとです。包括への橋渡しだけですね」。どうして民生委員になろうと思ったかとお尋ねすると「私は今度4期目。1期は3年。いま9年終わって、10年目が今日から始まる。最初の任命は町内会長から。前の人がやめられて、選考会で、この人がいいか、果たして受け入れるか、というやり取りがあって。それで私のほうにオファーがありましてね。でも『私が民生委員なんて』と断ったとです。もっと高学歴の人がやるべきだろうと。そしたら学歴は関係ないと。そしたら「私が人の役に立つなんて子は無理」と断ったんですけどね。「どうしてもなってくれ」と。初任65歳未満が条件だった。当時私は若干越えていたけど町内会長が是非にと。私を推されて、その後は一回通ればあとはふるいにかけられても通るわけです。厚生労働大臣に行ってどこに行ってと」と笑う。

 

民生委員をやってみてうれしいことは

「うれしいことは皆さんと一緒にするから、地域デイサービスのときなんかに『今日はよかったよ、おとなしかったよ』とか言われたり、包括ケアセンターへの報告をして、キャッチボールしているんですけど、包括ケアセンターや社会福祉協議会と。私は情報を流すだけだから、キャッチボールですね。それを受けて、向こうはすぐ動かれる。そんな時、自分でいつまでたっても悩むのでなく、向こうから『どこの手術に入られたよ』とか教えていただけて、それで『ああ良かった』とか『ああ良かったねえ』といって。また家族関係でいろいろあったときも報告を受けて『ああよかったねえ、お手伝いできてよかった』というのが喜びです」。

 

問題解決できるのはうれしい

「一番大切なのは町内会の信頼関係、人間関係。『体操しよう』と言ってもみんなが『しない』、といえば何もできない。挫折するようなときもあるが、包括のほうに言って『それなら』と力を貸してくれたり、自分もいつもすいすい行くわけではない。その時はとにかく包括に言う。そしたら手助けとか『こういう人がいい』とアドバイスいただいたり。それからは相手の人がたとえ1人でもやろうという信念でやっている。すると、今ではもう10人くらいは必ず来るんです」。
 

 

体操しているから皆さん足腰強くなって元気になってゆく

「そう。これ以上伸びるのは年齢的に厳しい。でも維持するのが高齢者に重要。上の方に行くのは高齢者は無理なので。記録更新じゃない。それを延長線に、緩やかなカーブに。200グラムとか、自分の筋力に合わせて。どうしてもうちの町内会で駄目な人がおられて、そういう時は『あんた空っぽでもいいから』と。おもりをつけずに」。片一方だけの方もいらっしゃるのは「自分の体だから、無理をしたら駄目」と、お互いにいい合う中で、片方でいいのではとなっていくようだ。「つい一人だと『なんでこんなこともできないんだ』となりがちだしねえ。無理するかもしれない」。自分に厳しい人たちだから、あまり頑張りすぎないように見張っているようだ。

「みなさんその人その人の体を自分で管理してもらうように。マットもしているが頭の悪い人は『覚えられい』と言うが『覚えられなくてもいい、覚えていてささささっといっても意味ない、考えることがいいんですよ』と言うようにしている。間違ってもともと。落ちる人は上げるように扱う」。間違って落ち込むより「間違って笑いましょうというようにしている。見ている人が『あの人よく間違えるな』とは思わないしよるんです。頭で分かっていてもみんな手と足と間違えてしまう。『私もしよる!』とげらげら。そんなので地域の和を一番重視している。向こう三軒両隣。いまのところは通じている。都会はそんなことないでしょ?」と笑う。そから研究者や記者が来ても「あんたもやらんか」と声かけられて、佐々の人はヨソの人が来たらすっと受け入れている。「ここはそんな人が多い。佐々にも地震でこられた人をすっと受け入れられたりとか」と。

私は高校卒業してから商店で働いとりました。売り上げの管理をしていた。テントに出て販売も。大きい会社だと経理だとか販売とか分かれるが小さいので全部やっていた。15年くらい勤めていた。その後は結婚したり子育てで休んで。子供は3人。男1人に女2人。子育て終わってパートに行くように。そしたら町内会で「町内会の会計がいないからやらんか」と言われて、うちが班長になっていたから、「女がいままで町内会の役員で会計しなたことないのに」と。私はでも「あんたたい」と言われたから。それとか婦人部の部長とかしていた。ある程度はなんでも言われたからにはやってみるが、あれもこれも手を広げるのは良くない。役ばっかり引き受けるよりも確実なところを。

 

江田さんとの出会いは?

民生委員になって、包括で。9年前というと平成21年。ちょうど包括ケアセンターが「みんなと一緒にやろう」と思い出したちょうどそのときから。そう。それでモデル地区になってくれと言われて。それまではリハビリバンド体操のモデル地区になっていて、TV局からの取材も来て。民間テレビですけど。

 

ゴムバンドの体操は江田さんと?

モデル地区になってくれと。そしたら次にNHKのクローズアップ現代が取材に来るとか。百体を始める前で、ゴムバンドとかやっていた。全国放送ですよ。遠方に行った人が「ふるさとの元気な顔を見ました」と電話が包括や役場にかかってきたんですって。「北海道や東京の親戚から、「あんたの元気な顔見てよかった」、と言われた電話がかかってきたよ」って言われたりそんなことがあった。私も姪っ子が東京にいるんですよ。何かのときに「おばちゃんテレビに出とったたい」って言われて、「あんたみとったけ?」ときいたら「見た」と。そんなように、メディアの力は強いなあと。江田さんからなんでも言われるもんだから。私はみなさんの力があってだと思っている。私が提案したことに賛同されることが私はうれしい。そんなことしないと言われたら、せっかく頑張ってもね。

 

頼られるのはうれしかった?

うれしいと言うよりも、「できるかな」と思った。でも言われたからにははじめから「やらない」とはいえない。いつも「これをしてくれ」と言われて、「いや私はできるかしら」といったら「できる」と江田さんに言われる。CCRCのときも。「よかけん私についておいで」と言われる。だから江田さんの力が強いから私も安心してついていける。

 

合併しなかった小さな自治体だからできること

「江田さんからするともともと町内のことをちゃんとやってるエイコさんがいたからこっちもできたんだと言っている。頼んだら「とりあえずみんなに言ってみようか」と言ってくれるからそんなことできたんじゃない」というと、「そう?「できるかな」が真っ先。やってみんことには。結果的には悪いかもだけど。子供のときから。思いついたときに動き出す。気持ちを下向きでなく上向きに。母が前向きな人。父は戦死したから全然知らない。3歳のときに硫黄島でなくなっている。映画も見に行って、「父はこんなことしてたんだなあ」と。母子家庭で、おじいちゃんおばあちゃんにかわいがられて育った。だから家族の愛情は分かる。今も、私もお嫁にきてから普通嫁姑問題なんてのがあるのに、うちはなかった。可愛がられた。私も恋愛じゃなくて見合いで来たんですけど、向こうは私の悪口言わないし、私も父母のことを悪くは言わない。だから可愛がられた。本当に。嫁いびりなんて無く。相浦で生まれて嫁に来ました。最初は『ええっ』て思ったけど、来たらすぐ気に入りました。地域が小さいからまとまりがある。小さいなりに確実な。市町合併でいろいろあったけど、合併しなかったが正解かなあって。包括なんかも自由に動ける。小さいながらも一生懸命がんばっているから、江田さんも力を発揮できる。大きいところにいたら江田さんも上にはいけるとは思うんですけど、こっちのほうが自由で。

 

二人の孫と、長男夫婦との幸せ

むかしはみんな農家だったんですよ。でも今は家庭菜園くらいで、専業はいない。おいしい野菜を作っていると。自分のうちは自分で野菜を作っている。サラリ-マン。人生振り返ってみれば上のほうには行かないけど、金銭面とか言い出したらきりがない。自分がどうにか食べて生活できる。幸せ。自分が生活していくだけの金銭があれば。明日はどうしようかというときもあったが、それはそれで人間アップダウンあるから。一番きついときを乗り切っていまはどうにか。いまは厚生年金。それだけで暮らしている。主人は私が民生委員始める前に無くなった。逆に言ったら主人がいたら私は動けなかった。私一人だから夕方とかでも仕事にぱっといける。ごはん準備しないといけなくても、自分が食べれればいいから。主人に対して言えば悪いけど。いたらいたで旦那はかわいいから面倒みなきゃだけどね。逆に主人がいなくなった後、民生委員したことでさびしい思いをしなかった。それもあります。今は長男と孫と一緒にいる。孫がまだ保育園と小学校1年。孫とは喧嘩というとおかしいけど、いろいろやっていて面白いんですよ。男2人。『ばあちゃんばあちゃん』言われるのはうれしい。怒りもしますけど。同居してるから楽しい。お嫁さんもよくしてくれるし。孫たちの母おやも出ている。食事はお嫁さんが作るが、私は子供の面倒をみたりしている。

 

秘密は絶対、年齢や性格で向いている人を後輩に選ばなくては

民生委員の仕事は家族には絶対漏らさない。『今日はどこに行く』とか言っても内容は絶対に言わない。民生委員はちゃんと秘密を守れないといけない。誰がどこで困ったとかは家族にもいえない。「大変だったあ」って、そんなときは包括やシャキョウに。自分ひとりでは悩まない。バトンタッチすれば全部やってくれる。で、結果も教えてくれる。認知症なら認知症とか、専門の人がいるから、その人に任せれば、悩まない。あと3年がんばろうと。「私やめます」といったけど、いい人見つけられないとね。75が定年には一応なっている。佐々はない。75過ぎてたら再任はできない。民生委員は終わりますが町内の老人会とか。包括なんかにも行ってできる分だけは自分も行ってね。生きている間はいつかはお世話にならないといけないときもあってその時はその時で、お世話になりますと甘えます。でも、できる間は、自分の体の動く間はさせていただこうと。やっぱりたまに調子が悪くて『腎臓かなあ』って思ったり。今のところ何も病気は出てない。薬も飲んでいない。でもいつどこが悪くなるから分からないから。健康診断なんかでは今のところ何もないんだけど。過信はしない。でも不安がったってしょうがないから、何かなったときは何とかしてもらうと。ケ・セラ・セラという歌が大好き。歌の内容は知らないけど。なるようになると。無責任は駄目だけど、我を張らない。そういう気持ちで生きていかねばと。取り越し苦労したって一緒だら」。