佐々中学校の裏の道を、プールに近い方に歩くと「竜王城」の案内板が建っている。

現在の佐々川河口(見返り橋)から上流に佐々川を遡ると、新佐々橋付近で両岸がやや狭まっている。中世以前はここより上流にも海が入っていて、今のナフコやダイレックスのあたりまで海だったという。鎌倉期から南北朝の時代と推測されるが、このあたりから佐々の開発、すなわち干拓工事は始まったらしい。その時の佐々の支配者は佐々氏であり、15世紀後半に平戸松浦氏に支配が移るまで佐々氏当主佐々左馬之助存(たもつ)と松浦氏21代当主松浦義(よろし)は協力して佐々を穀倉地帯へと開発していった。存と義の死後、平戸家当主となった松浦豊久はこの竜王城に居館を構えて、今の佐々駅から国道まで伸びる道路を潮受けとして干拓工事を完成させた。(大新田-現在の佐々インター付近は江戸期の干拓) しかし、佐々氏の当主として自身の子を佐々氏の養子として入れるなど佐々の支配を強めようとしたことが、佐々の土豪の反発を招きこの竜王城で非業の死を遂げたという。

ただの林にしか見えませんが窪んだところは人工的に掘り下げた空堀です。

城と言っても天守があるわけではありませんが、平場は割りと広い典型的な山城の様式がわかります。

 

佐々駅から徒歩10分 佐々中学校東側 

駐車場はありません、文化会館駐車場等をご利用ください。