「のぼせもん」がねいないとダメなんです。 行政だけではできない。やはりボランティアで。ほかにたくさんしてらっしゃるが。行政の方にこうしてほしいという部分はあるが、彼らじゃ絶対にできない部分もある。それに答えられる方、「のぼせもん」がやらないと。 調子に乗って人の世話してそういうことを楽しみにして、みたいな、「のぼせもん」はそういう言葉。だから今はこんなことさせてもらってありがとうと主人にいいながらやっている。私はやはりそういう人がいるので介護養護のことでもほかのことでも。私の場合は40数年勤めていたんですね。それをやめたときに私はやっぱり何かしないといけないなあというのが、やめたら地域のためになるようなことをしたいなあというのが、勤めているときからずっとあった。看護職をしていたが。その当時から介護養護の保険料だとかなんだとか言っていた時代で病院がお年寄りの社交場になりつつあったのがいけないな、あちこちの病院行ってお薬いっぱいもらって、というのを聞いていたので、これではいけないと。自分がやめたときにいかにして高齢者を元気にするか、というのを考えていた。このままだと保険料あがるばかり。介護保険つかわなくてもまだまだ元気でいける人はいるんだ、という思い。だからまず地域に入っていこうと思って。ヨシノウラという地域だが、そこに足を踏み入れたときに、社会福祉協議会からデイサービスの協力員として入って、それを1,2年みたときに、「ただ協議会からきて歌って踊ってされるだけ、それをほかの地域の人が笑ってみてるだけ。それではいけない。ただ見てうけるだけではいけない。体を動かさないと機能は衰えていく」と。自分自身も。働いているときはよかったけどいざ引退すると脳や体が衰えていく、そう思った矢先に包括性センターというのができた。「これだ!」と思って行った。第一号。そして江田さんと、実は見ていたら皆さん与えられるばかりで、なんにもしていない。それではだめだよねと。自分自身も体を動かすのが好きだから、やっぱり運動で、みなさんを前に動かしたいと言った。すると、ぜひやってくださいと。 江田さんが地域の人にやってあげないとと思ったのは、宮島さんの話を聞いてなのかな 平成18年にその話をしにいかれたと。江田さんが本気で地域に出ようと思ったのは21年からでしょ。そのときに宮島さんは地元の力でやらんばいかんて思ってらっしゃったんですね。 「それこそのぼせもんがいないとやっていけない。じゃあわたしがのぼせもんになろうと。決意して、やりだした。ところが、一年くらいやったときに、なかなか人が集まらない。これだと勢い込んでやりはしたが集まらないとやれないわ~とおもって、また江田さんのところにいって、これではやれんけんやめようかと思ってるといった。そしたら、『最初から集まることはないけんもう少し続けたら』といわれて、考えたけど、私のモットーが『継続は力なり』なので、そのときに、そうだよね、なんで自分の理念を忘れてしまったの、と恥ずかしく思って、それで自分がやり起こしたことをなんで続けられないんだ、と思い起こして、来る方が1人でも2人でも続けようと。それでふんばれた。だから自分の本職はお琴。それも一人でも二人でも着てくださるかたには一生懸命」ちょっとジャンルが違っていてもやっていけるかなと。それから自分も前向きになって、そしたら人が寄ってきた。不思議。いかにみなさんの力を引き出すか、前向きにさせるかに心を砕いている。やっぱりプラス思考で。自分の気持ちを常に前向きにもっていくことで、これだなと。そういうことだ、と思ったときにみなさんの気持ちをとにかく引き出そうと。プラスの言葉ばかり使う、私。それでやってきた。それでもやっぱり皆さんを指導するというからには自分が勉強しないと教えられない」。 教えようとすると、伝えようとすると人は一生懸命になる まず地域で体操教室とかやってないかな、と調べ、足を運んだ。行っていると、私は去年から後期高齢者になったが、体操教室いくとやっぱりまずお年寄りよりも40代から60代の方が多い。でも私はこの中でもできるぞと。教室の中から、「これは高齢者にもいいな」というのを見つけて、使った。体操の先生にもそのことを伝えた。「この体操はリハビリに必要な方の体操として受け取ってください」とおっしゃったので、「これだな!」と。「先生、この中から高齢者向けにはどれがいいですか」と聞いて、「これがいいですよ」、と。先生も研究に付き合ってくれた。先生の許可を得て、指導している。いい加減にできないので、絶対必要。江田さんたちも体操勉強してやっている。テレビ見たりしてやっていると思う。特に高齢者に伝えるためには怪我のないように、を基本にしているので、ちゃんとした基本を自分が身につけ、その中で伝えていくことが重要。そして、ちょうどこのスクエアステップというのを長崎の大学の中垣内先生が来て講演なさった時に、これはぜったい今からの高齢者に必要だ、と思ったので、これも資格を取りに試験に行った。そして江田さんに私こんな資格をとったので、包括のほうで使えませんか、と談判した。 ステップだから。 「いきいき百歳体操」だと上半身だけだけど、それだけでも結構いいんだけど、老化は脚からと言いますしね。そした、らこの前も長崎で講習を受けたのですが、こんなマットがある。番号が書いてある。これはこの順番でステップいきますよという番号。ここでするときには私が何しているかしっかり見てね、と、私がどのマスを歩いているか見て、それをまねしてね、という。全身運動。脳を使いながら脚を使いながら。ただ横に移動するだけじゃなくて、前にいって後ろにいって。これを百体に結びつけることでより楽しいですよ、と。百体は去年一昨年くらいから入った。厚労省から「百体を取り入れて」といってきたのでそれから取り入れた。今百体のほうが主。何もしない人からしたらこれは楽。筋力つけるためには。おもりをつけながら負荷を与えるので筋力をつけるにはいい。これのいいところは笑いが出るところ。人が間違っているのを見たり。それがものすごく免疫を高めることにつながって。みんなに楽しい、といわれる。 間違えてもいいよと。間違ったら頭使うから 人間は足腰が基本。足腰が丈夫だと外に出ようかと思えるし。杖突いている人もやれる。大学病院でもリハビリに取り入れられている。リハビリは棒伝って歩くだけだけど、これを真ん中においておくとまた違う要素が取り入れられて役に立つ。ビビっときた。公演から帰るときに中垣内先生に資格とるのに年齢制限ありますか、と聞いて、すると前向きで指導意欲さえあればいいですよ、と答えていただいた。2年半前の7月に資格をとった。 江田さん。包括が呼んで長崎大の中垣内先生がやった講習会を受けて、それを誰よりもこれは、と思ってしまった。まず自分自身にぴったり。頭を使いながら体を動かすのはなかなかない。だからこれはチャンスを逃してはいけないと。パズルや音楽と似ている。それに脚も動くのがプラス。ナースをやっていたこととお琴やっていたことと、頭体全部つかってきたからなおさらそれが分かる。そう。それで、年齢制限がないのならすぐ講習受けます、と。包括からはほかに誰も行かなかった。ほかは熊大、佐賀大のリハビリセンターの方が見えていた。佐々からは私一人。だから行って、受けた、そして、何十年ぶりかにペーパーテストなんてものも受けて。そしたら合格しまして、すぐ江田さんに話してここでさせていただけたらうれしいんだけど、と談判した。それでまず地域でしようと。それでやった。そしたら盛り上がるの何の。このステップ。これは自分の地域だけではもったいないと思って、江田さんに。最初は自分で考えた運動の先生のところに言って覚えたことで高齢者の運動を考えていたんだけど、結果この運動に出会ってそれを地域で実践してみたら最初にやっていたものよりも盛り上がったと。体操も続けている。準備運動整理運動に取り入れたりしている。ミックスしている。リンパマッサージとか体操で教えてもらったことを今度は自分が伝えている。 自分で自分の体を整える方法をお伝えしながら。一回行ったら「月に1回だけでいいから今後も来てくれませんか」と言って下さる。自分自身ものすごく楽しい。 30分でいいわ。失敗して笑う癖をつける 後期高齢者が社会から必要とされていることがすごい。たとえば若い人が高齢者に指導して「あんた若いからできるんよ」と高齢者は思ってしまう。私がやると、「私ができるんだからみなさんもできる。気持ち次第だよ」と言える。百体でちょっと元気になった人はこっちにきてくれればいいわけです。まず江田さんがこっちをしていたのに去年から百体をとりいれた。どっちからしましょうかと言われたときに、「ステップは最後だよ。まず百体はテレビを見て、一生懸命見て、こうしてしているところに最後にステップやったら笑いが出る、これで締めくくるべき」と言った。百体は40分だけどこれは30分。それでも、ものすごく濃い。笑い出て頭使って。高齢者はステップの形2つか3つくらい。しかめっ面でまねだけしていたのが、最後には立ち上がって。失敗して笑う癖がついていると、認知症とかになったときに、その失敗で気楽に笑える。認知症になられた方に。今日もみえたんだけど、耳の遠いご主人と認知症の奥さん。息子さんはそんな両親がみんなに迷惑をかけるのを恐れていた。それで、「とにかくいいから、来て」と言って、今日きてもらったね。そしたら地域のみなさんが「よう来たね!あんたも来たね!」と。認知症でもそういうのは分かる。家では認知症的なのが出ているのが分かるかもしれないが、今日私が見ている分には普通。それで見よう見まねでやってもらって。ちゃんとなさった。最初遠慮してたご主人のほうが楽しんでた。二人に感想きいたら、「やっぱり外に出ていかなあかんね」と、奥さんの方が。楽しかったといってくれた。自分も認知症で人に迷惑をかけているのは自覚していて、遠慮している。いざ出て行ったらみんなが迎えてくれて、やってみたら楽しくて。週に一回だから、来週も来てみませんかといったら、2人で来ますと答えてくれた。2人は集会所から一番遠くに住んでいるんだけど歩いてくる、と。今日も歩いてきた。 認知症の方に楽しかったといわれるのはうれしい 引っ込み思案の人に外に出たいと、前向きに思ってほしい。そういう気持ちにさせたいというのが私の第一の目的。 ...
のぼせもんがおらんとね
一般に醤油の素材にも小麦が使われているそうですね さざソースは醤油など、材料の全てがグルテンフリーです。小麦アレルギーの方が、みんなが食べている旨いレモンステーキの味や照り、とろみをそのまま食べられるように仕上げました。 私達が伝統的に食べてきた国産の材料で作られているので、現在アレルギーのない方も、将来の発生を抑えられる可能性が高くなります。 レモンステーキ以外にもいろんな使い方をされる方がいらっしゃるそうですね 焼肉やハンバーグなど、お肉の味付け、とんかつなどの揚げ物にも応用ください。 レモンステーキは地元でよく食べられていますね レモンステーキは佐世保発祥の食文化です。ステーキに馴染みのなかったころの日本人のために考え出されました。すき焼きの感覚で食べやすく、牛肉の美味しさを引き出した調理法です。ご飯に合う甘みとレモンの爽やかさが地元で愛されています。 鉄板でジュウジュウいうのがさらに旨そうですね 鉄のフライパンを使うと、育ち盛りの子のための鉄分補給になります。また、さざソースは鉄のフライパンで調理すると一層お肉の旨さを引き立てます。 佐世保にはレモンステーキ専門店まである。その中でも隣町の北松浦郡佐々町の役場近くの味がよかった。ところが旨いだけじゃなくて、小麦アレルギーに対応した造りで、家庭でも楽しめるようにと、瓶詰めされていた。店主の中川さんにお話を伺ってまとめた。
さざソースでレモンステーキ
佐々で暮らす 佐々は佐々川の賜物。佐々川河口に開けた街。旧平戸藩、松浦(まつら)文化を支えた松浦域内最大の佐々川が作った南端の平野に位置します。佐々川の上流には世知原、吉井地区、佐々川対岸の小佐々、鹿、江迎地区という旧六ヶ町村の文化的なつながりが、今の日常生活の中にあります。「買い物は佐々」「歳をとったら佐々に行け」「飲み食いするなら佐々」と六ヶ町村の都の機能を持ちました。「小さな頃はお街と言ってたし、いい服着て来たよ」という集散の中核を担っています。佐々の中心部には、図書館、体育館、文化センター、包括ケアセンター、小中学校、役場、病院、商店、毎日食べて飽きない旨い飯屋、佐々駅などが並ぶ暮らしやすいエリアがあり、そのすぐそばに何種類もの絶滅危惧種の観察をできる生き物の宝庫があります。佐々川と古川岳、鎮守の神様と鎮守の杜、元禄時代に干拓された水田が目の前にあります。ここで学びながら、地元の役立ちながら、健康に関するケアを受けながら、歩きながら、暮らすこと、育てること、歳をとることを楽しむためのページです。 佐々川フォーラム 佐々で学んで実践する佐々町には、学ぶ活動、学んだことを活かす活動がたくさんあります。そして、学びながら、佐々の街の主体者になってください。あたかも大学に入り直したようなレベルの学びと実践、地元のつながりを楽しむ「キャンパスライフ」があります。南隣の相浦には長崎県立大学があり、気さくな先生たちが佐々の学びの活動を応援してくださっています。 佐々の人々 佐々で生きて来た人の体験談 佐々に行く、佐々から旅をする 佐々で泊まる、文化、歴史、自然を楽しみ佐々で暮らすように旅をする 佐々で食べる 13,000人の街とは思えない、毎日食べて飽きない店があります 佐々で働く 佐々とその周辺の就職情報、企業誘致、起業支援など 今まで佐々にないものを作る 佐々町にはまだまだ作りたいものがたくさんあります。美味しい中華料理店、ホテル、佐々川研究所、新たなコンセプトの住宅、大学など、佐々においでになってお作りになってください お問い合わせ
佐々で暮らす
佐々から福岡へ向かう について知っていることをぜひ教えてください 九州、特に九州北部は福岡市を中心に交通網が形成されています。これは佐々町に関しても例外ではありません。 佐世保はともかく、長崎に向かうよりも福岡に向かったほうが買い物やレジャーには便利だったりして? 手段1:電車を使う 博多駅から佐世保駅まで特急みどりで約二時間、そこから佐々駅まで約45分。佐世保駅からはバスを使う方法もあります。 料金は2130円+550円=2680円。指定席を取ると+1530円とお高めですが、ネット限定切符を使うとトータルで指定席込み2440円まで下がります。 手段2:高速バスに乗る 九州北部といえば西鉄バス。当然佐々町へも便があります。乗り換えが面倒くさい&JRは時間がかかりすぎると思うのならばオススメ。 問題点としては、佐々駅発の便は早朝便に偏っており、全体でも本数が八本しかないのにもかかわらず、14:25分が終バスとなってしまうというところでしょうか(佐世保駅から乗り換えれば21:30まであります)。 手段3:自家用車で向かう 速さと気軽さを求めるのならば実は一番良いかもしれません。一番早い鳥栖経由ルートの場合、道路事情にもよりますが所要時間は2時間をおおむね切ります。 問題は料金。高速代だけで3580円かかりますし、ガス代も含めると駐車料金を考慮しなくても片道5000円弱は必至。長距離ドライブも含め、一人で行くのは余りおすすめできません。二人以上ならば荷物がたくさん詰めることを考えると、一番良い選択肢かも。
佐々から福岡へ向かう
南谷川
唐船川